プライベート

春の伊豆下田路〜其の参〜

4月上旬、伊豆の山々芽吹く季節に意地下田を旅して参りました。
幕末には此の小さな街を中心に鎖国か開国かの日本の未来に関する重要な交渉が列強諸国とありました。
当然、アメリカやロシアの、日本には無かった見たことなかった大きな船が下田にもやって来ました。
そう、1854年下田にアメリカより日米和親条約締結為に寄港していたペリー提督率いる艦隊🇺🇸
この艦隊中にポーハタン号が、ありました。
その実際の写真が
この船に乗船、密航しようとした、皆さまご存知の幕末の教育者がいます。
その方の名は・・・
吉田松陰
1830年8月4日に長州毛利家家中、杉百合之助の次男として生まれ、吉田家に養子とし入ります。
諱(いみな)は矩方(のりかた)ですから、正式な名前は吉田矩方
武家の名前は通称と諱(いみな)あり、例えば坂本龍馬の諱は直柔(なおなり)ですから本名は坂本直柔なんです、龍馬は通称
榎本武揚の釜次郎や木戸孝允の小五郎なども通称
堅苦しい諱より通称を普段は使ったようです
話戻ります✋️
吉田松陰は尊王攘夷、ガチガチの国粋主義者で欧米列強などを夷狄(いてき)とし好戦的
のイメージありませんか?
しかし、佐久間象山の門下生でもあったように、海外、特に欧米列強の最先端の技術からの工業化により国を富まし強国とする、そして日本を・・の開明的思想の持ち主でありました。
だから、ポーハタン号に密航しようとしたのも、アメリカ人を夷狄とし斬りに行ったのでなく、海外渡航し学最先端のモノを学びたい一心からのものであったと考えられます。
吉田松陰は叔父の玉木文之進に厳しい教育を受けて、自身の生き方、思想の土台、根幹としました。
幼き時に、叔父の玉木文之進が畑耕しながら松陰が孔子孟子を朗読していました。(玉木家は貧しい武家だったので半ば自作時農)
その時、蚊が松陰の脚の血を吸い、痒くなり叩きました。
すると玉木文之進は、畑から松陰を突き落とし、ボコボコに殴ったんですね
その理由は、孔子孟子の聖賢なる書を読んでいるのは、民を治める為に読んでいる、それが武家、侍である。子供でも武家の子、痒いと言うのは私情、いやしくも公務中に私情に流されるとはいかなることか?
からボコボコに殴ったのですが、現在でしたら単なるDVですよ(笑)
その様な土台から松陰が成り立ち、羽ばたいていきます。
吉田松陰の松下村塾、伊藤博文、山縣有朋、山田顕義、久坂玄瑞、品川弥二郎、前原一誠etc
沢山の長州藩出身の明治元勲輩出しました。
松陰自身は強烈なスパルタ環境で勉学に勤しみましたが、松下村塾では優しい、全ての塾生に対して優しく、どんな身分の子であっても敬語で丁寧に話しかけたそうです。
そう、ポーハタン号に密航しようとした吉田松陰と従者
ここ伊豆下田にある弁天島の祠に隠れ夜中に小舟漕いでポーハタン号に向かいました。
その弁天島と祠が残ります
荒波にあらわれ形成された奇岩も、松陰の姿を見たことでしょう
結局、密航叶わず下田奉行所に自首し江戸伝馬町の牢屋に護送されます。
国禁破ろうとした重罪人として・・
しかし、何とか一命とりとめ、長州に帰国出来ました。
普通の人間なら、一命取り止めたので事勿れ的に、おとなしく生きるものですが、松陰は違いました。
教科書でも習った安政の大獄で連座を免れる事出来たのに、自ら自分の老中暗殺計画や幕政批判を述べて江戸で処刑されました。
享年30歳でした。
王陽明の陽明学
すなわち、現行一致(げんこういっち)
言っている事と行動する事が伴わないといけない、ですね
コレを地で生きられた方が吉田松陰だと思います。
そんな吉田松陰ですが、自著「幽囚録」で国防政策として
蝦夷(北海道)を開拓し、オホーツクを奪い、琉球を併呑し、朝鮮を古の盛時のように属化し、北は満州、南は台湾、呂宋(ルソン・現在のフィリピン)を収め国防線としなければならない。
と記しています。
マサに戦前の日本陸軍が行なってきた事です、日本陸軍の流れは長州藩にあります。
日本陸軍の祖、山縣有朋が幹で桂太郎や田中義一などは枝葉です
当然、現在と外交、政治、軍事の成り立ちと対外関係、世界情勢が全く違うので、松陰に罪はありません。
しかし、この松陰の国防政策が明治陸軍から日本のアジア戦略の礎(いしずえ)になったことも全否定出来ません。
しかし、その様な多種多様な意見ある中で、私が一つだけ思うことあります。
吉田松陰が幼き時にスパルタ教育受けた叔父の玉木文之進
実は乃木希典も玉木文之進より幼少時教育を受けました。
乃木希典の日露戦争での軍略や行動には批判あるものの、自分の二人の実子も戦死しています。
最後は明治大帝崩御された時に、妻と後を追い自決されました。
批判大き山縣有朋も日露戦争で銃弾なか自ら赴き戦いました。
観念や思想だけでなく、最後まで自分の命をかけて戦ったことは誠の侍としか言いようがありません。
しかし、現在の長州出身の政治家は観念や思想は語るだけですね
誠に言葉だけの薄っぺらい空虚なものを感じます。
逃げずに嫌な苦しい事、時でも死地に行き自ら戦ってきたのが、幕末から明治の長州人でした。
泉下の吉田松陰は、どのように感じ思っておられるのでしょうか?

ecc
ABOUT ME
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。