プライベート

春の伊豆下田路〜其の弐〜

4月上旬の下田
当日は快晴、雲ひとつない青空に恵まれ以前より訪れ散策して見たかった下田の街を心ゆくまで楽しませて頂く事が出来ました。
伊豆下田、、歴史マニアにとって琴線に触れる土地の名前
幕末、江戸幕府が鎖国か開国か?の難しい舵取りをした時の交渉やアメリカ軍船など停泊した下田
先週に続き、訪ねたのは?
下田港に往時の黒船が再現された遊覧船がありました。
遊覧船を右手に見ながら歩きます。
1854年に日米和親条約締結され開港した下田、そして日本最初のアメリカ領事館が置かれ、初代総領事として赴任したのが
玉泉寺(ぎょくせんじ)とタウンゼント・ハリス
でした🇺🇸
今の玉泉寺と、約160年前、ハリスが初代総領事として、ココ玉泉寺に住んだ時の、、
ハリスはアメリカ総領事として、玉泉寺に住み、江戸幕府と交渉に臨みました。
実際のところ、ハリスはかなり体調崩していて、当時の日本では習慣なかった牛乳や肉を所望します。
日本人召使いが近隣の農村駆け巡り牛乳を手に入れハリスは喜び牛乳を飲んだと言います。
初めて牛乳が売買されたので、その碑が境内に立っています。
また、日本の寒さにハリスは?
アメリカ製ストーブを設置し、煙の配管上手くいかなくて苦労したのも日記に書かれていたり、猟師によって撃たれた猪がハリスにプレゼントされ、その肉を晩御飯時に食べようと心躍らせるのも日記に出てきます。
初代アメリカ領事館として使用された玉泉寺ですが、此処には日露和親条約時に亡くなられたロシア海軍軍人の墓が
ロシア海軍乗組員墓が🇷🇺
そして
今でも墓碑に刻まれた字が鮮明に読み取れるアメリカ海軍乗組員の墓も玉泉寺にあります。
遠い異国の地で亡くなられた兵士方々が安らかに・・・
私も手を合わさせていただきました🙏
もし、ここ玉泉寺にいらしたら、併設される資料館にも足を運んで頂けたらと
アメリカ総領事ハリスの元には近隣の漁民農民が数人召使いとして雇われました。
講談や舞台、本にもなっている、唐人お吉の話もココが原点で元話
下田に赴任した強国アメリカの総領事ハリスの気を悪くしたらいけないと、お吉(おきち)と言う女性がハリス付け私用の召使いとなります。
要するに夜も相手をする意味込めて、多額の金がお吉に用意されました。
しかし、厳格なるハリスは其の意味に激怒したと言われます。
何故なら、幕府役人は知らなかった様ですが、ハリスは厳格な聖公会、クリスチャンで一生独身を貫きます。
個人的資質に於いても、貧しい家庭に育ち小学、中学しか出ていないのに勉学に励み独学でフランス語、スペイン語、イタリア語を習得しニューヨーク教育局長なども務め、貧困家庭の教育向上に寄与しました。
それぐらいの高尚な精神の持ち主だったのですから、女性をあてがわれたと其の意味を知った時の激昂ぶりは想像難しくありません。
そう、そしてハリス、アメリカ領事館召使いで雇われた数人の近隣住民
彼らは農民や漁民だったので、自分の家の紋(もん)や正装の袴(はかま)なども持っていなかったので、公式行事の正装用として紋が作られました。
それが?
アメリカ合衆国象徴の白頭鷲
弓矢
平和意味するオリーブが見事なまでに金糸で刺繍され、当時のままを観ることが出来ます。
しかし、このデザイン性のクォリティいかがですか?
コレが本当のオリジナリティと想像力ですよね✨
ここ下田には沢山の歴史
市井に埋もれている歴史の類いでなく、国家の行く末に身を捧げて来た先人方々の歴史がある訳です。
来週は幕末、長州の精神的指導者でもあった、あの方の話を・・・
其の方も此の地、下田と深い関わりあります。
では、また来週
良い週末をお過ごし下さいばいばい

ecc
ABOUT ME
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。