プライベート

拝啓 la Bomba(ラ・ボンバ)様

コロナ禍で自粛していた今年の4月、5月

断捨離(だんしゃり)を行うべく部屋の大掃除をしました。

比較的、綺麗にしているのですが長年手をつけずにいた昔撮った写真を適当に重ね入れていた紙袋

クローゼット奥にありました・・・

その中には、懐かしい〜!

から、笑い止まらない写真が沢山ありました🎶

ので、暫くのあいだ、週イチペースで、この眠っていた写真達にフォーカス当てて書いていきたいと思います😄

さて🤚

第一回目のタイトルは

拝啓 la Bomba(ラ・ボンバ)様

僕は1995年辺りから男子ツアーに行かせて頂くようになりました。

昔の事は詳しく存じ上げないですが、男子ツアーで自分なりにあるのが、まず黎明期、創世記に日本プロゴルフ界を築かれた方々

そして戦後高度成長期に活躍された方々

そして、①かのジャンボ尾崎プロ出現により、日本ゴルフツアー界が大きく飛躍

②倉本昌弘プロ、湯原信光プロなどに代表される学士プロの活躍と多数派に・・・

③90年代半ばより丸山茂樹プロが活躍したことにより、今までの、いぶし銀、玄人ウケするプロゴルフツアー界から女性や子供、若い方々ゴルフしない層にもゴルフが浸透

④2000年迎え、この選手がツアーに出場することにより、良い意味でのカタ苦しくない現在の潮流起こした張本人だと言っても過言ではありません。

そう、その方の名前は

今井克宗プロ、通称 ラ・ボンバ

1972年4月22日生まれ

中学高校時代はラグビーやバレーボールを、法政大学に入学しゴルフはじめるも、ツアープロゴルファーを目指して大学辞めて、ゴルフ場に・・・

その後渡米し、アメリカ西海岸ツアーで腕をメキメキ上げて、持ち前の明るさ・聡明さ・酒量で英語、スペイン語を身につけてブイブイいわせました🇺🇸


osakasyoun

その時にお付き合いしていたメキシコ人の彼女とは、かなりの真剣交際だったらしく、お母様にもカナリ気に入られていたそうです🇲🇽

トルティーヤ

テキーラ

タコス🌮

が、ソウルフードとなるも日本帰国の日が来ました

涙と笑顔でアメリカに別れを告げ、ラ・ボンバ今井克宗、日本に帰国🇯🇵

そう、そして1999年だったでしょうか?

PGAテスト合格せずとも男子ツアーにQT制度が導入された年、今井克宗プロはQT制度からツアー出場

そして2003年カシオワールドオープンでQT制度から出場した選手、ツアー優勝第一号選手になりました🏆

続く2004年コカコーラ東海クラシックでも優勝され、男子ツアーに新風を巻き起こし、現在の風通し良い基盤を築かれました。

ニックネームはla Bomba(ラ・ボンバ)でした✨

意味はというと、今井さんが大好きなイタリアが生んだレジェンドスキー選手⛷

アルベルト・トンバ選手のニックネームが、その爆発的なパワーとスピード、テクニック、感情溢れるスタイルから

Tomba la Bomba(爆発トンバ)

に由来します。

ツアー界では今井克宗プロの事を、外国人選手はラ・ボンバと呼び

先輩はイマカツ、カツオと呼び

私達年下も普段は今井さんと呼ぶも夜の会食、その後では無礼講でした😄

この写真ですね

石川県金沢で試合あった時に、食事後、今井克宗プロ、小林正則プロ、清水重憲キャディ、私の4人で行ったカラオケ🎤

弾けてますね〜

カラオケ歌いまくり騒ぎまくりした後、少し部屋内にビール溢してしまったりでしたが、帰りに精算終え、今井さんが店員さんに

「ゴメン、部屋少し乱しちまったからコレ取っておいてよ!」

と、二人の店員に一万、一万を渡して帰路につきました。

ラ・ボンバ今井克宗プロは、器大きく豪快な方でしたね✨

今でも私は理解しています

今の風通し良いツアーは今井克宗プロの出現と功績が大きくあったことを・・・

来週はソノ今井克宗プロと長年コンビを組んでいたキャディ方を🤚


ニチコン


丸安産業


ジャパンクリエイト


osakasyoun


ecc
ABOUT ME
小岸 秀行
1973年11月8日生まれ。立命館大学経営学部中退。 1995年福澤義光プロのキャディーをきっかけに、ツアーキャディの道へ。過去に岡本綾子プロ、細川和彦プロなど、2008年から5年間矢野東プロと専属契約。2013年からは川村昌弘プロと専属契約し「パナソニックオープン」優勝。 2019年度は女子ツアーメインで参戦する。 2021年11月9日付で京都府宇治市の日清都CC支配人就任。日本初の支配人兼プロキャディ 通算6勝