新年明けまして、おめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます!
今年もマニアックに参りたいと思うのですが、「歴史」というものは、兎角難しく考えがちですが、今私達が生きている時代も普段の出来事、ニュースで見る事件なども50年、100年、300年たてば歴史となっていく訳で、「歴史」を知る、調べる、興味を持つことは、遠い過去の一案件を見ることではなく、現在まで繋がる糸を手繰っていくようなモノだと思うんです。
私達の数代前の御先祖様はチョンマゲ結っていたわけですから・・・
灯台下暗し
何気に身近な所の歴史を知る、=自分を、今を知る
に繋がると
僭越ながら我が家の歴史とも重なる歴史的戦いと今に残る史跡をお伝え出来ればと思います。
時は今から400数十年前、尾張から美濃(岐阜県)へ近江(滋賀県)から京、越前(福井県)東西南北に勢力伸ばし圧倒的な先進的武具と斬新な、時には残酷な勢力拡大方法で天下統一に邁進していた武将
織田信長
がいました。
西の方向への勢力拡大時に於いて、織田方の敵となり壁となり鍔迫り合い、時には激しい戦いをしたのが毛利輝元と大坂、石山本願寺に本拠地置いた顕如(けんにょ)を中心とする本願寺門徒でした。
後に秀吉が難攻不落の大坂城を築くわけですが、その前には石山本願寺が其処にあり、信長包囲網にもビクともしないのを目の当たりにしていた秀吉が、大坂城を築いたのも理にかなったものでした。
そう、織田方西部方面の最前線を任されていたのが、当時の羽柴秀吉、そしてその副官的な地位にあったのが、今回の主役
荒木村重
でした。
摂津(せっつ)今の兵庫県東部と大阪西部を併せた37万石を信長より任されていた武将が荒木村重でした。
そんな信長からの信任も厚かった村重
本拠地が現在の兵庫県伊丹市にあった
有岡城
でした。
現在は宅地開発、マンション建てられ、面影ありませんが、、
南北約1800メートル
東西約800メートル
の縦長、惣構(そうがまえ)の巨大な城でした。
日本で最初に平城として天守閣建てられ、ポルトガル人の宣教師ルイスフロイスは
「甚だ壮大なる城に着きたり・・・」と記しています。東は伊丹段丘と、猪名川に守られ、北と西、南には砦が設けられ、侍町と町人町間には堀が巡らされ、町を囲むように巨大な土塁が築かれました。
日本で最初の本格的な城郭と言っても過言でない城、それが1574年に入城して以来、荒木村重が着実に固めてきた有岡城でした。
来週土曜日には、今に残る有岡城と、逸話を・・・