廣野ゴルフ倶楽部
言わずと知れた、日本のゴルフファー憧れのゴルフ場だと思います。
ゴルフ場世界ランキング100選に常時入っているとか、名門とか色々な枕詞ありますが、以前、坂田信弘さんと話していた時に、私が
「坂田さん、難易度、歴史など含めて日本ナンバーワンのゴルフ場は何処だと思いますか?」
に、即答で
「廣野です。圧倒的に、、コース設計。歴史と伝統、それを紡ぐメンバー方々含め断然に廣野だと私は思います。」
と仰っしゃりました。
私などが、廣野ゴルフ倶楽部を語るに千年も万年も早い、恐れ多い(笑)
全ては坂田さんの、この言葉に集約されるのではないでしょうか?
私が初めて廣野ゴルフ倶楽部をラウンドさせて頂いたのは、1996年でした。
阪神大震災の翌年でした・・・
宝塚ゴルフ倶楽部キャプテンや、そう中日クラウンズ第1回大会ローアマ、皆様ご存知の宮崎県のフェニックスCC設計、など日本ゴルフ界創成期に活躍された大橋貞吉さんに連れて行って頂きました。
大橋さんが廣野ゴルフ倶楽部メンバーでして、あと
もう2人は長瀬産業の長瀬さんと御友人、、そして、今思えば凄い体験ですが、中部銀次郎さん、大橋さんが
「銀べぇ〜、銀べぇ〜」
と呼んでいたのを覚えています。中部銀次郎さんとお会いした最初で最後の貴重な体験、今から20数年前のことでした。
それから、私がツアーキャディの道を目指すも、メシ食えない時期が数年続き、シーズンオフ時は、昼間は西宮CCでキャディバイトして、夕方からは清水重憲キャディと一緒に、大阪の警備会社で、バイト給料が良い深夜ガードマン、、という、今では考えられないハードなスケジュールを淡々とこなす時期でした。
自分がゴルフをする、楽しむという事から逃げたい時期でした。
ツアーキャディとして食っていけないのに、自分でゴルフを楽しむなんて甘い。という考えが根底にあったのだと思います。
そして2002年だったでしょうか・・・小川先生、小寺さんという女性御二方と出会いました。御二方が廣野ゴルフ倶楽部メンバーだったので、廣野に誘って頂き、自分でも少しゴルフを楽しんで良いかなぁ〜
と思い、それ以来年に何回か廣野を回らせて頂くようになりました。
それが今でも続いています。
廣野ゴルフ倶楽部
神戸電鉄 広野ゴルフ場前駅
と、いう駅があります。
ゴルフ場ために、電車の駅があり、またゴルフ場の名前がついているという凄さ
神戸新開地から約40分です。
そして駅前、本当の駅前には
先日もお世話になっている方と、廣野ゴルフ倶楽部をラウンドさせて頂きました。
2019年1月4日〜9月末日まで、コース改造でクローズしていたニュー廣野ゴルフ倶楽部をラウンドさせて頂きました。
明日は、コース改造終えた廣野ゴルフ倶楽部を、ホンの数ホールですが見て頂ければと思います。