薩摩77万石の藩主島津家
鎌倉時代より続く数少ない大名家
琉球王国を支配下に置き、薩摩藩領の坊津では、清国(中国)との密貿易などで幕末には巨万の富蓄えるとともに、琉球王国通したりしてのリアルな情報、海外の欧米列強がアジアの国々を植民地化していっているために、いち早く富国強兵政策を推し進めていた先進性
そんな薩摩藩島津家は
人は城
人は石垣
人は堀
かの武田信玄が実施した政策と同じく、維持修理にも莫大な金と時間かかる自分の為の城にはお金をかけずに簡易なものとしました。
しかし、名家 島津家、やはり別邸、別荘などはあり、1658年に19代島津光久が造営し、明治時代から、東京に移るまで本宅として使用され、今に残るのが
仙巌園(せんがんえん)
です。
入場料払えば、各部屋にいる着物姿の女性方に色々と説明頂けます。
まずは、江戸時代の仙巌園は?
そして、明治5年、1872年の江戸時代と変わらぬ仙巌園の写真遠景が
当時は
赤い門が錫門(すず もん)
江戸時代、明治初めまでは、この門の前が砂浜で直ぐうみに面していましたので、島津の殿様は別荘、仙巌園に城から来る時は船で来て、仙巌園の目の前で降りて、赤い門通り、中に入っていったんです。
明治も中期になると?
島津忠義が仙巌園を本宅として住んだので砂浜ま埋められ拡張され、豪勢な門も
そして、御殿に入ります。
皇室方々、イギリスやロシアの王子、VIPきた時に使用された部屋あり、その謁見の間を右手に進み隣の部屋は?
島津家当主の部屋
そして廊下挟んだ所には、殿様が朝方、執務を取った部屋があります。
島津家の紋が施された机に座り正面見ると、雄大な桜島🌋が正面に見え借景として取り入れられています。
↑は外から見た、その部屋です。
そしてその殿様寛いだ部屋の真裏にあるのが
殿様の寝室です
枕は南、桜島方向を向いています。
仙巌園、島津家の別荘だけありますね、、、「粋」が随所に張り巡らせてあります。
屋久杉使用した御殿もそうですが、不粋に見える釘
だから、釘隠しが施されています。
しかも、部屋により違うんです
殿様の部屋、先程の桜島を借景として作られた部屋の釘隠しは?
桜島大根
が
粋ですね!
隣接する建物には15代目沈壽官さんの薩摩焼
薩摩切子が展示販売されています。
隅々まで大名の別荘、庭園を堪能させて頂き駐車場に向かうとき工事中の立看板よく見ると
やはりココは
薩摩でした。
鹿児島市内からも約15分
薩摩藩主 島津家の別荘 仙巌園
是非お越し、ご覧下さい!