プライベート

薩摩の薫り色濃く残る枚聞(ひらきき)神社

他府県に比べて鹿児島県には文化財が余りない。と言われます

これは正解なんです。

その理由は他府県では寺院という日常生活に入り込んだ宗教的権威が今なお残り、聖域としての寺院に、歴史的貴重なモノが守り伝えられて来た事実があります。

しかし鹿児島、薩摩では江戸時代から明治時代に変わる時に、徹底的に

「廃仏毀釈」

が行われたからに他なりません。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)読んで字のごとく、仏の道を廃し、釈迦の教えを毀(こわ)すという意味

鹿児島県では、それこそ徹底的に寺院の貴重な建造物、伝来の仏像、経典など

仁王さんの石像なども頭部分から破壊され、ハッキリ野蛮な明治新政府の政策だったと思います

鹿児島、薩摩という土地柄は南方の母系社会、土着方の緩やかな柔らかな土地柄の反面、ドライな営利主義、実利を重視する面が強いとおもうのですが、その悪い一面が出た廃仏毀釈時の鹿児島ですね

だから戦災や天災にあった鹿児島市内はもとより、地方にも江戸時代、薩摩を感じさせるモノと雰囲気は少ないんです

残っているとすれば、鹿児島の人の心とあり様に、、、

そんな中、薩摩一の宮として千数百年の歴史持つ

枚聞(ひらきき)神社

が指宿市にあります。

南薩摩地方の総氏神として、開聞岳の麓にあります。

神域として、古来より薩摩の人々、島津家からも崇敬の念厚く護られて来ました。

今に残る社殿は慶長15ねん(1610年)に島津義弘が再興し、江戸時代後期には島津重豪が改修したものが残ります。

しかし、何と言っても、貴重であり歴史マニアなら必須、見て頂きたいのが敷地内にある宝物館

明と朝鮮の軍から余りの強さに恐れられた島津軍

関ヶ原での敵中突破し帰国した島津義弘、奉納された鎧や軍旗が、無造作に展示されています。

室温管理や除湿管理なく宝物館にある、ある意味薩摩らしい飾らない展示の仕方にも、ソレを感じます。

そして江戸時代初めに琉球侵攻により、島津家の支配下に入った琉球王国

琉球王国は清(中国)と薩摩、二重の支配下にあった訳ですが、琉球王国からの使節使者が島津家に船で入貢するとき、聳え立つ開聞岳が目印となりました。そして安全な航海に感謝の気持ちを額に書して奉納したモノが枚聞神社 宝物館に残ります。

琉球王、尚氏王子の品のある格式高い字で書かれた額が宝物館で見られます。

宮司さんに色々質問すると、丁寧に教えて頂きました。

お賽銭は奮発して夏目漱石

日本の近代化の旗振り役だった鹿児島

しかし、その少し前の薩摩の薫りが色濃く残る枚聞神社でした。

 


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時空少年タケシ
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こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。