川奈ホテル
川奈ゴルフクラブ大島・富士コース
日本には少ない重厚な歴史ある世間の喧騒からは隔絶された感あるホテルとゴルフ場です
私には小さな夢ですが二十歳過ぎに初めて川奈ゴルフクラブに来た時に
「川奈ホテルにユックリ泊まりたい」
しかし当時、二十歳過ぎのソコソコのガキに一泊何万円も払える訳もなく
いつからか川奈ホテル、川奈ゴルフクラブに来ることもなくなり月日が経ちました。
そして今年の春、20年来の小さな夢が叶いました。
そう、川奈ホテルと川奈ゴルフクラブの歴史ですね
先ずは此の方
大倉喜七郎 男爵
大倉財閥二代目、例えば大成建設、サッポロビール、帝国劇場、帝国ホテル、あいおいニッセイ同和損保etc
などコノ何倍もの企業設立し、父の大倉財閥創始者である、大倉喜八郎は昭和2年に92歳で亡くなるまでに、精力溢れる人生生き、喜七郎翁が後継者となり、後を継ぎます。
大倉商業、今の東京経済大学や関西大倉中学・高校などの創立者、教育界にも多大なる功績を残された方です。
だいたい相場は決まっていて、財閥築いた初代は趣味に生きるより、脇目も振らずビジネスに邁進して二代目になると、スポーツ界や文化芸能界などの本質的意味合いと価値を見出しパトロンとなる。
このタイプが多い、、
大倉喜七郎翁もまさに、このタイプで慶應義塾に学び渡英しケンブリッジ大学出て、西欧の文化の真髄に触れカラダに取り入れて帰国、大倉財閥二代目総帥として辣腕ふるうのですが、やはり文化人としての素養が初代とは違う(笑)
日本にはホンモノが少ない、、の思いから、イギリス時代に慣れ親しんだゴルフ、ゴルフ場造ることを考えたんです。
先ずできたのが川奈ゴルフクラブ大島コース
日本ゴルフ界、育ての親と言って良いかもしれません、大谷光明 猊下が1928年にコース設計して先に出来ます。
その後に東京ゴルフクラブ朝霞コース、廣野ゴルフクラブ設計などで来日していたC.Hアリソンに設計頼み
今ではフジサンケイクラシック会場としても知られている富士コースが出来る訳です。
試合が無い時の富士コース
海側では波が岩に当たる音
内陸のホールは風の音
鳥のさえずり
木々、葉が重なりあう音
きっと大倉喜七郎翁、往時と変わらぬ景色
フジサンケイクラシックでも有名なNo.16par5前のホール
No.15のセカンドショット地点からグリーン見る景色は圧巻です・・・
左遠くには大島が見えます。
とかく日本、日本人は不必要な看板や木々植樹、貼紙などをしたがり、またそれ自体のセンスのなさを自覚しないですが、本質を知る方々が築き今に伝える川奈ゴルフクラブでは、そのような稚拙さは皆無です。
そして、夢であった川奈ホテル宿泊
全てが心地良かった、、、
部屋から見える青空と青い海
大倉財閥、大倉喜七郎翁が精魂注いで創られた川奈ホテル
沢山の方々が川奈ホテルにはいらっしゃいました
そして
宿泊した時の夕食は外出しましたが、ホテルに戻り向かったのが?
川奈ホテル
川奈ゴルフクラブ
やはり、素晴らしく重厚さが心地よい
それこそが、古き良き英国の流れ汲む日本のエスタブリッシュメント方々が築き現代に残してくれたもの
日本人なら今一度、ソレを大事にし後世に伝えなければならない、、と考えた川奈での夜でした。