伊賀上野
この響きを聞いて伊賀、甲賀の忍びの里を思い出さずにはいられません。
それが、歴史マニアの悲しい性(さが)
先日、伊賀上野に行って参りました。
伊賀上野を代表するのが忍者とともに
伊賀上野城
築城の名手 藤堂高虎が1611年より西側の防備を固めるために、深く幅広い堀を掘削
そして近世 大阪城に次ぐ高さ約30メートルの石垣を造営します
西側の防御とは、すなわち大坂城にあった豊臣秀頼に対抗しての伊賀上野城の改修と造築であったわけです
今でも、伊賀上野城では、危険ですが鉄柵ナシに近くまで行き石垣の高さを間近で見ることができます。
そして、内陸部にあり、戦災や天災、経済的な大開発が少なかったこともあり、山口県萩市や、弘前市、彦根市、丹波篠山市などと同じく城下町の町割、風情情緒が今尚残ります。
伊賀上野、、かの
そう、駅前には銅像にもなっている、奥の細道でも有名な
松尾芭蕉の生家が伊賀上野城から少し歩いた所にあります。
松尾芭蕉には隠密説があります。
御公儀、幕府の密偵、忍者、徳川幕府に弓を引こうとする外様雄藩の監視が主な任務ですが、松尾芭蕉がその、隠密ではなかったか?
説が今尚非常にあるんです。
元々古来より、伊賀地方には土豪ひしめき、情報戦に必要な侍=忍者が沢山いた、織田信長がその、忍びの者達を伊賀戦にて殲滅しますが、その忍びの血を引く者達は全国各地に逃げ散らばります、、
神君伊賀越え
徳川家康が本能寺の変あとに、堺から伊賀を越えて三河に戻る時に手助けした服部半蔵などは、江戸幕府にて重用されましたし、多羅尾氏なども旗本として取り立てられます。
服部半蔵の兄などは、姓を藤堂に変えて伊賀上野城代として、江戸時代この地を治めることにもなりました。
話戻ります
松尾芭蕉、奥の細道など読んでも総2400キロの旅をあり得ない速さで旅し、謀反の疑いあり、、の仙台伊達藩の軍事要所を丹念に歩きまわっているんです。
当時、旅する莫大な費用などもナゾのままです
隠密として、仙台伊達藩の内情や東北諸藩の動向をチェックするための、旅路
そう妄想するのも、面白いですよね?
寺町には白壁が美しく並ぶ寺院があります。
侍町には、元々、長曾我部元親3000石の重臣だった入交(いりまじり)家が、関ヶ原の戦い後に長曾我部家を去り、200石で藤堂家に仕え住んだ残存するのは珍しい武家の屋敷があります。
伊賀上野城横には?
カラクリありそうな忍者屋敷彷彿させる小学校もあり
また、近くには名門 三重県立上野高校もあります
椎名桔平さん、平井堅さんの母校でもある進学校ですが、マニアにとり一日ノンビリと散策するには最高の街でした。
そして1日、最後の〆は?
言わずと知れた
噛めば噛むほどに肉の、赤身の肉の旨さが口内に広がり卵黄と絡み合う伊賀牛のユッケ
そして伊賀牛のリブロースをフルボディの赤ワインとともに、、、
伊賀上野は大阪と名古屋の真ん中ぐらいに位置します。
少し交通の便悪いですが、だからこそ今に残る情緒ある街並みがあります。
当日は行けませんでしたが、かの池波正太郎さんも大絶賛した
すき焼き 金谷
があります。
大都会、よく知られた観光地だけが日本ではありません。
神は細部に宿りたまふ
日本は広く、深い
伊賀上野、素晴らしい街でした。