幕末土佐藩を一時期、勤王藩としてまとめ上げた土佐勤王党領袖 武市半平太
中岡慎太郎、坂本龍馬などと同じ身分階層、方向性同じくしながら歴史の流れに翻弄され、最後は切腹し若い人生に幕を閉じた武市半平太
しかし鮮烈なまでの生き様には弛みきった現代の私含めての日頃の怠惰な生活、、、
泉下の武市半平太みれば頭を抱えてしまうでしょう(笑)
さて、武市半平太、武市瑞山ですね
1829年9月27日長岡郡仁井田郷に生を受けます。今の高知市郊外
実家の武市家は郷士という土佐藩での身分
江戸幕府寄りの佐幕藩土佐藩には藩主 山内家の藩屏たる侍、上士層と元々土佐の地を治めていた長曾我部家の家来の血を受け継ぐ半農半士である郷士という身分がありました。
「武士」という身分ではあるも、過酷なまでに上士と郷士の間には身分差別がありました。
その虐げられてきた郷士階層の纏め役、領袖として武市半平太は才覚現し表舞台に現れます。
元々、武市家は1444年以降、先祖の武市治部佐康範が今の地に移り住み、長曾我部家の家臣として生きてきた由緒ある歴史ある家なんです。
多くのポッと出の山内家含めて、上士と違い、土佐の地に根差した深い歴史をその血に受け継ぐ家系に生まれた宿命持つ武市半平太
戦災や天災により、殆ど昔の街並み失われた高知の街並み
しかし武市半平太生家は郊外にあるため、奇跡的にその姿を今に残します。
朽ちた土壁
昔の姿残す、武市半平太も色々と、、、坂本龍馬も訪れたであろう離れも見られます。
大正4年、今から100年チョイ前の写真が残りますが、裏山には梨の木植えられています。
横には、地元住民方々が運営する小さくはありますが、武市半平太記念館もあり
日本全国より沢山の歴史愛好家が来訪し記録残した日記帳もありました。
高知市内から土佐龍馬空港の間に位置する、武市半平太生家
マニア方なら是非訪れて頂きたい場所です。