プライベート

日本ゴルフ場銅像探訪記〜朝長正男氏〜

第二回目は兵庫県三田市にある千刈CCのNo.4ティーグラウンド横にあるレリーフ方をご紹介させて頂きます。
その方の名は朝長正男氏
千刈CCの経営母体が学校法人 関西学院ですので、関西学院に所縁(ゆかり)ある方の察しはつきますが、それでは✋

朝長氏は1898年(明治31年)に長崎県大村市に生まれます。
遠祖は戦国大名大村純忠、大村家筆頭家老勤めキリシタン武将でルイス・フロイスとも親交あった朝長伊勢守純安、ノーベル賞受賞した朝永振一郎氏は分家にあたり、祖父は大村藩士で戊辰戦争で戦います。
氏の生き方と、生前お孫さんに「侍の子らしく生きろ」と事あるたびに語っていたことは、時代錯誤かも知れませんが氏に流れる血を考えられずにはいられません。
長崎の鎮西学院卒業後、関西学院高等商業学校(関西学院大学)にテニス部入部、主将務めます。
その時、神戸高商(神戸大学)テニス部と対戦し完敗
この悔しさを忘れない為に作られたのが、ノーブル スタボネス(品位ある不撓不屈の精神)、現在の関西学院体育会のモットーです。氏がテニス部部長に相談して生まれた標語です。
卒業後は江商株式会社(現 兼松)に入社し、イギリス支店,インド支店に現地赴任し綿花専門家として働きながら?



1927年(昭和2年)には全インドテニス選手権大会でシングル・ダブルス・ミックスダブルスの3冠優勝したりもしました。
そのあと、天津支店長つとめ終戦、戦後は東京支店長、副社長勤めました。戦前よりテニスと同じくゴルフもイギリス、インド時代よりプレーしていましたが、戦後は茨木CC理事,鳴尾GC理事、そして鳴尾GCや三好CC、西宮高原を設計したJ.E.クレーン氏と酒飲み友達で戦前よりの大親友だったので(朝長氏とクレーン氏2人は仕事話など聞かれたくない時は英語で会話していたそうです)、関西学院関係者など交えてゴルフ場造ろう!から千刈CC開場に導きました。
朝長氏はは千刈CC初代キャプテン、3代目理事長、関西ゴルフ連盟(KGU)常務理事として1983年亡くなられるまで活躍されました。


朝長氏とクレーン氏
仕事、酒,ゴルフ、旅、全てにおいて目一杯楽しんだ
お洒落な粋な明治男ですね✨



御自宅は宝塚南口だったので、川西市寺畑に自宅あったサントリー佐治敬三氏とも仲良く、先週の乾豊彦氏とは、共に高商出身から商社マン、趣味が合ったので酒飲み友達でした。



「手がメチャクチャ大きくて温かく、ウィスキー飲みながらで、私はカンガルーの子みたいに膝の上に座り懐中に入り色々な昔話を聞いたのは今でも忘れられません。」
食い道楽に、後輩面倒見良く慕われ,芸者さんと長唄、ゴルフとゴルフ場が大好きで酒も大好きで、広大な庭の木々も自らハサミを入れ,85歳で亡くなられるまで人生謳歌された方、其れが千刈CC No.4にレリーフ、No.1からNo.2を渡る「ともなが橋」名前の由来者です。


と、現在ゴルフ場で働いているお孫さんは語られました。
そう、そのお孫さん、記憶には無い。でしたがJ.E.クレーン氏の膝上であやされていたそうです。

人に歴史あり
ゴルフ場にも歴史あり
其れが交差し其れを守り継承していく事を歴史と伝統と言います。
其の価値観を大事にして、集う人々が多いゴルフ場を名門と呼びます。


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ABOUT ME
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。