秋深まりゆく日々、その姿を変え色付く木々を愛でる事が出来る日本人、日本に生まれた事を毎日感謝しているタケシです。
さて✋️
今週お届けさせて頂きたいのは、滋賀県高島市にある興聖寺(こうしょうじ)と朽木(くつき)の里
中々マニアックな場所ですので、地図にて場所確認を
滋賀県でも奥地で、越前(福井県)や日本海沿岸の文化も残る場所
この場所今は高島市ですが古より、朽木谷(くつきだに)と呼ばれた地域
木が朽ちるほと山深い場所の意で朽木の地名がつきました。
この地に曹洞宗の名刹 興聖寺(こうしょうじ)があります。
比叡山延暦寺より圧力かけられ越前(福井県)に向かう曹洞宗開祖の道元
曹洞宗本山永平寺開基の2年前に、この地を治める近江國守護の佐々木信綱に朽木の地に一族の供養と安寧の日を祈る寺を建立する事を道元は勧め建立されたのが
名刹 興聖寺
御本尊は平安時代、一条天皇が若くして皇子を亡くし一条天皇叔父にあたる藤原頼道がその供養に彫らせた釈迦如来像
優しく神々しい御姿とお会いさせて頂く事が出来ます。
川向かいより今の高台の地に興聖寺が移ったのは約200数十年前
江戸時代も宇多源氏佐々木氏の流れ汲む名家とし6000石の大身旗本交代寄合として栄えた朽木氏の菩提寺としてあり続けた興聖寺
本堂裏にある歴代朽木氏の墓
興聖寺32代住職に色々ご案内頂きました。
住職お母様は現在も朽木の地に住われ29代続く朽木氏本家の方
いわば日本では島津氏、相良氏、相馬氏、伊達氏などと同じく、ポッと出の大名とは訳が違う本流中の本流(笑)
その古武士然とした姿の住職に説明ご案内頂いたのは?
この場所に京都の戦を避けて3年間住んだ室町幕府12代将軍 足利義晴
室町幕府行政官、家来たちも移り10000人が朽木の地に住んだと伝えられています。
その時近隣の有力守護大名、京極、浅井、越前の朝倉なども朽木の地に行政府移した将軍足利義晴を支えます。
その時に室町幕府管領 細川高国に依頼して作庭されたのが
国名勝指定の旧秀隣寺庭園
興聖寺32代御住職に教えて頂いたのは
「将軍石」
室町幕府13代将軍足利義輝は家臣である細川幽斎(藤孝)など家来従え此処に6年半滞在されます。
その時に修復中為にB26と書かれたカード貼られている平たい石
この石に座り正面向くと、正面山の谷間から昇りゆく月が見られる風流なもの
そして此の庭園作ったがご子孫方も興聖寺を訪れています。
室町幕府管領家、江戸時代には熊本54万石藩主其の子孫で日本ゴルフ協会会長なども務められた細川護貞氏
護貞氏と奥様の温子さん(近衛文麿次女)の長男方はご存知の
細川護煕元首相
京都や観光地にある有名寺院にある様な華美な派手なモノは在りません。
しかし、観光為に創られた偽物は一切なく、本物しか持ち得ない空間と空気、歴史が此処に有ります。
大身旗本朽木氏当主として幕末より明治を迎えられた26代朽木之綱公と明治の戦で戦死された御子息
朽木の里では
時間が静かに流れます