3月桜咲く少し前に東九州、大分県中南部を一人旅させて頂きました。
初めて訪れる街だったので非常に新鮮でした。良い意味で北九州や博多、熊本市など九州他の大都市と違い人口も多くなく、戦災や工業化による宅地造成なども進んでいないので、昔からの日本古来の城下町の佇まいが其のママ残っていた先週の臼杵市
そして本日お届けさせて頂くのは、大分県東南部、宮崎と県境にある
佐伯市(さいき)、さえき、でなく・・・
江戸時代には毛利家2万石の城下町として明治を迎えます。
佐伯藩の毛利家、実はアノ有名な毛利元就の毛利とは全く別族で関係ないんです
時を遡ること、今から439年前
本能寺の変で主君信長討たれた秀吉は、中国地方で毛利輝元軍と戦っていましたが、引返し明智光秀と戦う為に休戦和睦します。
其の時に秀吉は子飼いの武将 森高政と兄の重政を毛利輝元に人質として送ります。
輝元は高政(当時は友重と名乗る)の為人(ひととなり)に感じる所あり、我と同じ姓を用いよ、と人質としてあった森高政に毛利姓を与えます。
以降、毛利高政を名乗る事になり、代々連綿と現代に続きます。
臼杵市、臼杵駅より日豊本線で約30分
佐伯駅に着きました。
人口約6万6千人で漁業、造船などが中心産業の街
早速、佐伯駅から20分ほど歩いた所にある、旧市街地。
昔の趣残る武家屋敷、寺町ある区域へ
城郭と見間違うほど立派な寺、養賢寺が旧市街地、武家屋敷入口で出迎えてくれます。
この地を治めた毛利家の菩提寺としてあり、中を散策拝観させて頂きたかったのですが、禅宗の修行寺としてもあるので、拝観お断りの立看板あり、涙のみ外観だけ・・・
養賢寺を右手に武家屋敷街に入り歩いて行きます。
白壁に苔むした石垣
品位感じる庭と建物
国木田独歩が明治に数学と英語の教師として住んだ旧邸が残ります。
国木田独歩旧邸を右手に進んで行くと、約250年毛利家の居城とした佐伯城跡に着きました。
藩主が日常過ごした三ノ丸跡前には唯一残る三ノ丸櫓門があります。
重厚な門を潜り目指すは山頂にある、本丸、二ノ丸跡にある石垣
地元方々の散策コースとしても整備されているも、勾配ある山道を20分程歩くと着きました。
今は石垣しか残っていませんが、153年前川までは天守閣や二ノ丸の大きな建築物や白壁に瓦屋根が聳え立っていました。
八幡山山頂部分から見渡す佐伯の街並み
山頂部から下山する途中では地元有志方々が道の整備、ゴミ拾いをされていました。
目新しい土産物並び販売され、安っぽい建物や説明看板設置され、コンクリート敷き詰められ、観光客来ないのに大型バス用駐車場が整えられスベっている日本に数多ある観光地化された史跡旧跡、寺社仏閣
少なくともココ佐伯や先週の臼杵には其れがありません。
何故なら、日常が連綿と続いていて、今が其の延長にあるだけだから・・・
素晴らしい旅をさせて頂きました✨
そして日本の魅力は、この様な所にこそ在るのでは?と思ったりもしました。
四週間に渡りお届けさせて頂きました、春の豊後路
来週からも土地を変え続きます、楽しみに🎶