プライベート

春の遠州路〜其の弐〜

この様な状況下ですから、旅をするにも一歩引いちゃいますよね

歴史マニア方は日本の地方隅々まで散策しながら旅したいと思っておられると思いますが、私目タケシの記事をご覧頂き少しでも胸の溜飲を下げて頂ければと思います。

春の遠州路と題して先週は浜松市北部を、そして本日は隣街で、山内一豊逐次した名城が在り、東海道重要地として栄えた掛川を✋️

今に残る掛川の街の基礎基盤を造ったのは山内一豊(やまうちかつとよ)ですね

豊臣秀吉恩顧の麾下の武将で秀吉からこの地を与えられ関八州に転封させられた徳川家康の抑えの一武将、一大名として掛川に入府します。

しかし、関ヶ原の合戦始まろうとする前期に、豊臣恩顧の大名であったはずの山内一豊は西上しようと考える徳川家康の心情慮り自ら進んで、我が城の掛川を中継地としてお使いください!と申し出て、豊臣恩顧の沢山の武将が家康に味方した先例と流れ、空気を作り出しました。結果は皆様ご存知の通り、関ヶ原の合戦で家康は勝利し山内一豊は、その功績で掛川5万石の小大名から土佐高知24万石の大大名に躍進します。

2006年NHK大河ドラマ「功名が辻」では、上川隆也さん、仲間由紀恵さんが、この辺を、ちゃんと史実も交え、楽しく私も毎週拝見させて頂いたことを記憶しております。

時代は下がり江戸時代には、東海道が城下を貫き宿場町としても栄え東西に長く異国情緒感じさせた掛川城天守閣や櫓、建築物含め東海の名城として在り続けました。

しかし、安政元年(1854年)に起きた安政の大地震で天守閣はじめ主だった建築物は崩壊して以後再建されることはありませんでした。
然し、そんな中、日本でも残存する貴重な建築物が・・・

其れは高知城本丸御殿、二条城二の丸御殿、川越城本丸御殿と並び日本四御殿と称される掛川城二の丸御殿があります。

 

皆様、ご存知の天守閣🏯
アレは大名家の武威や権威の象徴で実際に殿様が日常的に住み政務したのは御殿なんです

その殿様と家族の日常空間残る御殿残るのが掛川城二の丸御殿

 


osakasyoun

殿様や家老は表玄関から、その他の武士は東側から、足軽は北側から入りました。

殿様と会えるのは限られた身分の侍だけで、陽の光入る場所にあります

殿様が政務した部屋からは?

近年木造で再建された掛川城天守閣を望み、政務部屋真裏にある殿様プライベート部屋からも

 

天守閣を真正面に見る絶景がありす。
しかし、北側や東側の太陽当たらない、殿様に謁見出来ない身分の侍たちの仕事する部屋や詰め所は春の陽気感じられた当日でも、ヒンヤリ寒く冷たい空気がドンよりあったので、やはり昔も今も何か同じ様な事があるんだなぁ〜
と思いました(笑)

 

平成6年に再建された天守閣、基礎部の石垣は山内一豊時代のものですね、石垣産出されないコノ辺りなので、数十キロ離れた北部から川堰き止めて石垣運んだそうですが、石垣使用されたのは一部分だけで、掛川城全体は殆どが土塁で構築されました。

天守閣から眺める東側

 

北側、二の丸御殿全体も見れます。
桜咲き風吹くと桜舞い散り、鳥の声が至る所で聞こえた掛川城
暗いニュースばかりですが、ホッコリした時間を過ごさせて頂きました。

先週今週と春の遠州路と題してお届けさせて頂きました。
来週もお楽しみに👋

 


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時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。