現在、大阪のシンボルといえば
1、ミナミのグリコ看板
2、新世界の通天閣
そして、大阪城🏯
この大阪城ですが、豊臣秀吉により大規模で何重もの掘割と堅固な石垣、豪華な建築物として全国の大名に号令出して造らせました。
しかし、大坂夏・冬の陣で豊臣家が徳川家康により滅亡させられると、その時の戦火もあり地上の建築物はすべて焼かれ、残ったものも破却されました。
現在の大阪城は、その秀吉時代の大坂城の上に莫大な量の盛り土をして全て埋め隠し高さをあげ、堅固に石垣をも積み直した全く別ものの大阪城で、秀吉時代のモノは一切ありません。
秀吉時代の否定と新しい徳川時代の到来と権威を大坂の町衆、日本全国の大名から人々に徳川幕府武威の象徴として印象づける為のものでもありました。
そんな古(いにしえ)の秀吉時代の大坂城の建築物が唯一残る場所があるんです✨
滋賀県琵琶湖沖合いに竹生島(ちくぶじま)があります。
古来より信仰の対象とされてきた島で、そこにある
宝厳寺
この、寺が近年注目を浴びています。
2006年にオーストリア エッゲンベルク城で日本より南蛮船によって渡った大きな屏風が状態よく発見されました。
その屏風に描かれていたのは、詳細なる豊臣秀吉時代の大坂城でした🏯
↑はCGで再現したものですが、天守閣と裏庭、堀を繋ぎ渡る極楽橋が、秀吉亡き後京都東山の秀吉の亡骸 豊国廟に、そして秀頼の命を受けて豊臣家の家老的立場だった片桐且元が普請奉行になり、ここ宝厳寺に移築をしている、、コレは史実としてあるのですが、実際に秀吉時代の建築物が詳細にわからなかったので確定されてはいませんでした。
しかし、2006年の大発見により、竹生島 宝厳寺で唯一残る秀吉時代の大坂城建築物と確定され生で見られる事が出来るようになりました。
近年、欠落損傷激しかった為に、資料もとに総黒漆塗と華やかな秀吉時代の建てられた時の如く修理終わりました。
そして、秀吉の御座船 日本丸を移築したと言われる、、
極楽橋そのものを移築したとも、、
が王子のままの姿で残ります。
大坂の地から遠く滋賀県琵琶湖沖合いの竹生島にやってきたが故に現在まで其の姿を見られる事が出来る
歴史とは偶然か必然か
不思議なものです。
境内には、其の時の普請奉行つとめた片桐且元手植えのモチノキもあります。
琵琶湖沖合い竹生島に、今年の冬行かれてみてはいかがでしょうか?