皆さま、今春、コロナ禍前に大分県のとある場所に行って参りました。
実は私タケシの親父の実兄の奥様のご実家・・・
一度訪ねて見たかった。そして調べたら調べるほど面白い豪快な、かの福沢諭吉門下生にして福沢さえも上手く騙した?
手玉に取った人物だったんです。
世間的には殆ど知られていない人物、しかしこの様な太い人間が政界、官界、実業界に沢山いたからこそ明治という時代があったんでしょうね
其の人物とは?
朝吹英二(あさぶき えいじ)1849-1918
大分県下毛郡の代々大庄屋に生まれた朝吹英二、幕末には隣町で先日大水害受けた日田市の咸宜園や、中津の私塾で学び尊王攘夷思想に染まります。
中津藩の福沢諭吉、西洋の学問文化を推し進める国賊と朝吹考え福沢諭吉暗殺を企だてます、、、
しかし福沢諭吉という人間を知り学問追求して行くに連れ狭隘(きょうあい)な国学から離れ福沢門下生になります。
朝吹は幼い時に天然痘患い顔中が月の表面クレーターの様にゴツゴツしていました。
福沢は、この様な容姿だと女性問題で揉め事起こすこと無い、人物としては逸材であるのを認めていたので、福沢従兄弟の中上川彦次郎の妹 澄と結婚させます。
慶應義塾出て、三菱商会に入り紆余曲折あり義兄 中上川引き立てあり三井財閥へ
三井合名専務理事として王子製紙、芝浦製作所、鐘淵紡績などを立て直して行き、三井四天王の1人と言われます。
その後、義兄の中上川と三井財閥実権争った益田孝との確執により、財界表舞台から去り、骨董、茶などの道を楽しみ70歳にて世を去ります。
朝吹英二生まれた屋敷跡に行って参りましたが、大庄屋時代は29の部屋ある大邸宅でした。今に残る石垣は城壁のようでした。
堅固、緻密に強く組まれた石垣・・・そのままの人間像
しかし、話少し戻りますが、見た目はイマイチの朝吹、それ故に福沢諭吉は大事な姪っ子と結婚させたのですが、マメでマメで女性には非常にもて、かなり女性関係には奥さんも苦労したそうです。
かの福沢をもってしても見抜けなかったほどの人物だったのかもしれませんね(笑)
最後は政争に嫌気差し実業界から身を引きますが、朝吹英二の血は濃く強かった。
息子の常吉は帝国生命保険や三越社長務め、孫にはフランス文学者朝吹三吉、翻訳家朝吹登水子、曽孫には詩人の朝吹亮二
朝吹英二の弟の曽孫には2001年ノーベル科学賞受賞者の野依良治さん
2011年芥川賞受賞した朝吹真理子さんは玄孫なんです。
朝吹英二がモテたというのは、孫や曽孫が文学方面で活躍しているのを見るに、ロマンティストで非常に繊細、優しかったからなんだろうなぁ〜
でしょうね
朝吹英二屋敷跡近くには数百年の歴史ある神社が
きっと朝吹英二も少年の頃、この境内を走り回り遊んだことでしょう