日本一古い河川敷ゴルフ場
中四国で一古いゴルフ場
河川敷ゴルフ場で唯一の社団法人
これに該当するゴルフ場を皆さま、ご存知でしょうか?
岡山県倉敷市にある
(社)岡山霞橋ゴルフ倶楽部
です。
3ヶ月前に行って参りました。
高梁川河口の河川敷にある岡山霞橋ゴルフ倶楽部が作られたのは、ある1人の倉敷市にある財閥、大地主の若旦那、ボンの趣味からでした。
岡山県倉敷市
江戸時代は天領、幕府直轄地として商業栄えた街
江戸時代後期になると大原家、有名な大原孫三郎の大原美術館
そして大橋家が倉敷代表する豪商になります。
大橋家は塩田、開拓、貸金業務などを手広く営み大橋の土地を通らずに倉敷を通れないと言われたほどです。
明治時代に入っても商い上手く転換し大地主としてありました。
明治時代に生まれ、大正、昭和初期に青春時代過ごした大橋家7代目の若旦那
大橋平右衛門剛吉
この若旦那、ハイカラな方で当時最先端の?
車に乗ったり、ゴルフもカナリの腕前でした。
大橋家、、、重要文化財として倉敷に残り見学する事ができます。
江戸時代から、本当の豪商の家の造り、生活を肌で知る事が出来ます。
倉敷市に観光に行った際には是非ともおススメの場所です。
そう、先程名前出た7代目大橋平右衛門剛吉
この方が、昭和初期岡山県下にゴルフ場なく近くの高梁川河口付近の河川敷でクラブとボール持ち、練習している時に思いついたのが
そうだ、この霞橋付近にコースを設計し造ろう💡
でした。
昭和5年(1930年)に吉備ゴルフクラブとして 3ホールから開場
昭和6年には6ホールに、昭和9年には9ホールとなり、今の原型となりました。
コース設計者は鳴尾ゴルフ倶楽部、三好カントリー倶楽部なども設計したJ.Eクレーンさん
剛吉さんとクレーンさん仲良かったからでの設計となりました。
剛吉さんご自身も宝塚ゴルフ倶楽部新コースの設計されたり、ダンロップフェニックストーナメントで有名なフェニックスCC設計などもされました。
実は剛吉さん御子息の貞吉さんに、私は学生時代にプロキャディ目指す時に大変世話になり可愛がって頂きました。
貞吉さんご自身素晴らしい選手として戦後の関西アマチュア界、日本のトーナメント振興に辣腕振るわれた方なんです。
関西学院大学ゴルフ部創設されたり、ご自身廣野ゴルフ倶楽部、宝塚ゴルフ倶楽部でも活躍され、第一回中日クラウンズ、中村寅吉プロが優勝された時のローアマなんですよ
白い豪眉に大きなしゃがれた声、ワインレッドの薄いサングラスかけた、本当にカッコいい豪快な方でした。
今の品ない金持ちと違い、所作振る舞いツメ先から頭のてっぺん、心の奥底からホンモノだった方でした。
数年前に90歳の天寿全うされましたが、泉下の貞吉さんに可愛がって頂いた事を恥じぬような生き方をしたい、、と20数年たって、歳を取るにつれて思うようになってきました。
話少しそれましたね
明日は日本で1番古い、河川敷ゴルフ場
(社)岡山霞橋ゴルフ倶楽部をある方とプレーさせて頂きました。
その時の模様をお伝えさせて頂きます。