昨日、野村克也さんが84歳で亡くなられました。
私は小学生の頃からの野球小僧でした。
生まれ育った実家の同じ町内に横浜、巨人で活躍された屋敷要さんの実家があり、屋敷さんは横浜暮らしでしたが、お母様が一人で住んでいて、夏や冬休みには帰省されていて、私も良く遊びに行きました。
小学生の私を、玄関先まで見送ってくださり、私も背中で視線感じ、球界一の俊足誇ったスーパースター屋敷要さんに、僕も足が早いんだ!を見てもらおうと全速力で目と鼻の先の自宅に走り帰宅したのを昨日の様に思い出します。
その時見ていて、子供ながらに思ったのが西武ライオンズで現役終えた野村克也さんが記憶にあります。
年をとっているのに、何故試合に出ているのだろう?
子供ながらに不思議な思いでした。
現役時代は南海ホークス、現ソフトバンクホークスで名捕手
王貞治さんがいなかったら、野村克也さんが全てに於いてNo.1のプロ野球選手だった、、御本人自身でもよくテレビで仰っておられました。
「名選手名監督にあらず」
よく言われますが、野村克也さんは、その定説をひっくり返した方ですよね
現役引退されてからは、野球解説者としての野村克也さん
野村スコープの大ファンでした。
これは、テレビ中継でストライクゾーンを9分割して、次このピッチャーと捕手の配球なら、ここにこの球種を投げる。
バッターは、この球種を狙っているから、私ならココにコノ球種をリードする。
このリードを何故、捕手はするのか?
何故バッターは打ちとられたのか?
野球と言うのが、スポーツと言うのが、いや今、この歳になり考えると人生そのものが、凝縮された非常に凄い、壮大な解説だったと思います。
何がしたい?
では、どうするべきか?
今は何をするべきか?
何を武器に生き抜いて行くか?
私は、一度しか、しかも遠目でしかお会いしたこと無かったのですが、野村克也さんの著書は今でもページが手垢で黒くなるほど読んでいます。
京都の峰山、日本海側の冬は寒く貧しい母子家庭に育ち、テスト生として南海ホークスに入団
クビになりそうも、自活し凄い実績、数字を残したプロ野球選手に
引退後の名解説
そしてヤクルト、阪神、楽天での畑を耕し、水をやり、種を撒き果実を実らせた功績
イチ大ファンとして、亡くなられた野村克也さんのご冥福をお祈りさせて頂きます。
人生観を持たなければ、いい仕事はできない
勝に不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
小事、細事が大事を生む
勇気が必要なのは最後の決断の時だけである、大事なのは読みである
プロの原点は「気」
野村克也さんの人生から、、オリーブの木から実が収穫され集められ何千、何万、何十万粒から搾りとられるエクストラバージンオイルの様な、香り高く栄養が高い言葉です。
朝日新聞社に勤務していた親父が仕事で野村克也さんとご一緒した時に頂戴したサインは私の30年以上の宝物です。
物事の原点と、恵まれた今があるのは何故か?誰のおかげか?
その感謝の気持ちを大事にして生き、努力して必死に生き抜いてこられた昭和の男がまた1人亡くなりました。
野村ジャパンが見たかった
合掌