福岡と言うより博多
の呼び方、響きが好きです。
「福岡」と言うと、少し、かしこまってしまいますが、「博多」と言うと、ニコッと笑み溢れます。
古来よりの呼び名は博多
しかし江戸時代に入り黒田家が筑前国領主となると、黒田家の本貫地から名を取り「福岡」の地名にしました。
以来、武家地は福岡、古来よりの場所は博多に呼び名変わりました。
古来より大陸文化が入ってきた博多、戦国時代の博多の街の荒廃を再び活気ある街にしたのは太閤秀吉でした。
博多、、、肩肘張らない、粋な町衆が集う街、それが博多
そう、そんな博多の総鎮守が櫛田神社
博多っ子の血、DNAに組み込まれている博多山笠、博多っ子に欠かせない神事、行事ですね
その起点ともなる櫛田神社にあるのが?
街角からも、その大きさ見て感じる事ができる
「櫛田(くしだ)のぎなん」
ぎんなん、でなく、ぎなん
樹齢は1000年とありますが、銀杏が中国より日本に入ってきたのが鎌倉時代ですから、おそらく樹齢は700年〜でしょうか?
それでも凄いですよね、儚い人間の一生考えたら・・・
400、500年前は玄界灘の海岸線が櫛田神社近くまで来ていました。
おそらく、文永・弘安の役で数十万の蒙古軍・高麗軍が博多の海岸線に押し寄せた瞬間も、この櫛田のぎなん、は見ていたはずです。
天下統一目の前にし、九州に来た豊臣秀吉のその姿も見ていることでしょうそれ
それを考え、神木 櫛田のぎなんの前に立って目を瞑っていると、ちっぽけな悩みが吹き飛んでいきそうです。
博多はキャナルシティ、中洲からも徒歩で散歩がてら行けます。
櫛田(くしだ)神社に参り手を合わせ、櫛田のぎなんにも手を合わせるのも、いいっちゃないと?
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