会津若松といえば、幕末期には奥羽列藩同盟の中でも、長岡藩、二本松藩、庄内藩などとともに、新政府軍と果敢に戦った会津若松藩を真っ先に思い出します。
遠く会津若松の地より、幕末には京都守護職になり、火中の栗を拾う形で勤皇、佐幕とテロリズムの嵐吹き荒れる京の都の治安維持に邁進、孝明天皇からも厚い信頼を得ていた藩主 松平容保と会津藩
朝敵などでは全くないですよ、それならば禁門の変時の長州は?
意見を異にしただけ
会津藩、会津若松は微動だにしない武士としての誇りを全うし、今に在ります。
幕末は果敢に新政府軍と戦い、白虎隊や家老 西郷頼母邸では女性達は全員自ら命を断ち絶命する沢山の悲劇もありました。
しかし、誇り高い会津武士の魂は今に生き続けています
その象徴が・・・
蒲生氏郷が築き、松平家が治めるようになってからも守られてきた鶴ヶ城
会津藩23万石、松平家の居城です。
幕末の戦禍で城も壊され、城下町 会津の街並みも焼かれたりしましたが、町割や往時を偲ぶ遺産は沢山あり、、
会津若松の基礎を築いた蒲生氏郷の息子、若くして亡くなられた
蒲生秀行の墓が豪雪地帯である近代的雪除けから、今に残ります。
年端も行かない青年、少年の会津藩士達も新政府軍と戦いました。
鶴ヶ城見下ろせる飯盛山に登り戦況確認すると、城の方向が燃えていて、会津武士として潔く自刃、切腹した青年会津藩士達
彼らの隊の名は白虎隊
手を合わさせて頂きました。
大正5年、戊辰戦争から50年目の時には、、
旧会津藩と彫られた名前を確認出来ます。
近くにある、寺にも
日本の他にはあまり見当たらない、会津武士としての誇りを今なお感じとる事ができます。
作家 早乙女貢さん
文壇の重鎮であった故人ですが、曾祖父は会津藩士でした。数年前に亡くなられた早乙女貢さんですが、早乙女さんのお墓も
会津士魂
会津若松が生んだ政治家に伊東正義さんが、いらっしゃいました。
清廉潔白で筋道通した素晴らしい政治家でした。
盛田昭夫さんと一緒にSONY創業された井深大さんも、曾祖父は会津藩士で遠戚には白虎隊で戦い亡くなられた井深茂太郎もいます。
同志社大学創立者の新島襄の妻、八重
数年前には、綾瀬はるかさん主演「八重の桜」大河ドラマにもなりましたが、八重は鶴ヶ城に籠城して薙刀持ち新政府軍と自ら戦っています。
会津若松
誇り高き街です。