伊豆は韮山にある、重要文化財 江川邸、姫路城や彦根城、松本城など豪華絢爛な天守閣もなければ雄大な石垣もない、、、しかしココほど、日本における筋目正しい武家の歴史と建築物が800年の時空越えて今に残る場所はありません。
歴史好き、マニア称する方なら是非とも足を運んで頂きたいマニアの聖地です。
清和天皇の血を受け継ぐ源満仲の次男、頼親を祖とする、江川家
6代目の親治が教科書でも習った保元の乱(1156年)時に関西より、伊豆の国 韮山に13人の配下の者と移住して以来、900年近くコノ地に住み治めるようになりました。
かの源頼朝も近くに配流されていたので、同じ源氏として、源頼朝挙兵時にも兵を募り、代々鎌倉時代、室町時代も伊豆の国 韮山一帯を治める豪族、武家として名を馳せます。
日本で唯一でしょう、古来よりの格式ある筋目正しい武家の屋敷がほぼ完璧な形で残るのは、、、
母屋は600年以上前の室町時代と江戸時代初期に修築され、1993年に平成の大修理終えて拝観できます。
1261年には、かの日蓮聖人が江川邸に数日宿泊されており、その際、日蓮聖人みずから
「江川家がなお繁栄するように」
と自筆の棟札を書かれ今に残ります。
室町時代には伊勢新九郎(北条早雲)の配下となり、江川邸に隣接する韮山城を北条早雲は永住の地としていましたから、密接な関係を築くことにもなりました。
その後、豊臣秀吉の北条・小田原征伐際には韮山城の砦の役目もしていた江川邸、、、
裏門には?
豊臣方の鉄砲玉あとが429年の歳月越え残ります。
そう、その韮山城が秀吉方に落とされ火が放たれ韮山城は灰燼に帰すも、火の手が江川邸に!
時、風向き変わり江川邸は焼けずに済んだ、という日蓮聖人の霊験あらたかな話が江川家に伝わります。
事実は小説よりも奇なり
江川邸内部と、保存食として初めてパンの製造に本格的に取り組んだ旗本 江川家
続きは来週、土曜日に