先々週、先週と中世から明治時代まで生き抜いた能勢氏についてでしたが、古来より武家と宗教との結びつきは古く、かの神仏を悉く否定したと言われる織田信長でさえ、熱田神宮や伊勢神宮など多額の寄進していますし、常在戦場の武家にとり、心の安らぎや御家安泰を願うもの、その対象でもありました。
そして先出の武家 能勢氏の代々の宗派は日蓮宗
武家は比較的に臨済宗や曹洞宗などのイメージありますが、日蓮宗です。
南無妙法蓮華経と唱えれば何事も成就する、司馬遼太郎さんはかって、こう語っておられます。
「南無阿弥陀を真夜中に唱えれば内面的な、悪く言えば陰々滅々と言った感あるが、南無妙法蓮華経と大声で唱えれば躍進する気分というか、内省する心が身体中から抜け外向きの気分になる。」
と
美濃のマムシと言われ一介の油売りの行商人から今の岐阜を土岐家より奪い取った斎藤道三は幼き頃、日蓮宗寺院で修行していました、かの加藤清正も強烈な日蓮宗宗徒です。
キリシタン大名から宗旨替えした大村純忠と喜前も大村藩あげて日蓮宗に宗旨替えしました。
日本の宗旨に影響与えているのは宗教的理論でなく、宗祖のパーソナリティではないか?
浄土宗なら法然、浄土真宗なら親鸞、宗祖の個性が強ければ強いほどその個性は残っていく、、、
鎌倉幕府の絶対的な権力地、鎌倉での日蓮自身の立ち振舞い見てるだけでも、権力と同化しない自己を同化させずに主張する意思を強く感じさせる宗派です。
清和源氏の名門 能勢氏が信長・秀吉の逆鱗触れ20年間、23代目能勢頼次は岡山県の日蓮宗の妙勝寺に隠遁します、そこで南無妙法蓮華経のお題目あげ、能勢氏再興を祈り続けた日々であったと思います。
そして、20年目の真実よろしく、徳川家康に召出され、武家として表舞台に出る事が出来ました。
兵庫県と大阪府、京都府にまたがる、霊場 妙見山
能勢氏再興を果たした、能勢頼次はこの地に法華経の布教活動の寺院作ります、其れが今の妙見山の礎となりました。
能勢氏の家紋 切竹があります。
開運、運を開く、現世利益。日蓮宗では成仏こそ最大の現世利益と言いますが、沢山の勝負師もまた、その言葉と言霊、エネルギーに魅力されていき、今なお続いています。
妙見山には?
樹齢800年大杉の向かいには?
江戸時代後期の名優として名を残す、四代目中村歌右衛門が寄進した浄水堂があります。
将棋の神様 坂田三吉は対局時に
「能勢の妙見さん、頼みまっせ〜」
が、口癖だったといわれます。
昔から芸事、勝負師、色々な世界の方々から信仰の対象とされた妙見山と、その源泉となる日蓮宗
日本の素晴らしさには、「多様性」があります。
妙見山と能勢一帯を散策、歴史を学ぶにつれて改めて感じました。
色づく紅葉の隙間からの木漏れ日が眩しかったです。