古来より東北は「浪漫」の地でありました。
平城京や平安京に住む都人からは東国越えた、陸奥国
今なら飛行機で1時間30分ですが1000年以上前には何ヶ月もかけて歩いてようやく到着する場所でもありました。
九州には大宰府が置かれ、北の抑え前線基地はというと
「多賀城」
でした。現在も地名残る仙台市郊外の多賀城、それです。
城と言っても現在のような石垣築かれた城は無く、土塁と築地塀により囲まれたものだったようです。
北に蝦夷(えみし)の勢力があった当時は大和朝廷、中央政府最前線基地でした。
今は、風化するも貴重な歴史的文化遺産ということで整備されて、発掘調査の注釈写真ともに
そして
朱色鮮やかな二層の大きな南門があった場所。
当時は辺境の地であった場所に大和朝廷、中央政府の進んだ文化と技術力、権威を見せつける知らしめる為の建築物でもありました。
多賀城跡、、、そう忘れては行けないのが日本三大古碑、多賀城碑が今なお残る場所
多賀城碑?
1256年前に平城京(今の京都)や常陸国、下野国からなどの距離や多賀城修復の経緯が石に刻まれ今なお判読出来残る、貴重な碑、それが多賀城碑なんです。
雨風避けるために堂が設けられ多賀城碑を護ります。
堂内には古(いにしえ)の天平文化が華咲く頃、日本の黎明期の歴史が見られます。
分の解説は
多賀城を囲むは黄金色した稲穂、田園
昔も今も変わらずに、古の人々も飽きの同じ光景を見たことでしょう。
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