東北の中心地、宮城県仙台
杜の都、仙台
街の中心地には緑豊かなケヤキ並木、地下に埋め込まれた電線で、日本の都会や町に見られるゴチャゴチャ雑踏さは微塵も感じられません。
元々は、伊達政宗が伊達家旧領地より宮城野と古来より呼ばれていた、今の仙台に城構えて町割り始めた頃から、家臣達の屋敷に植樹を奨励し出した事に始まります。
当時は街の美観などでなく、飢饉時に食料となる栗や椎の木などが植えられたのですが、元々は荒野だった仙台の街は、政宗の植樹政策ために木々の緑豊かな潤う城下町となりました。
先の大戦、仙台空襲で沢山の尊い命、歴史ある文化的遺産、緑豊かな街並みは灰燼に帰しました。
しかし、戦後もケヤキを植樹始め、今に至る日本では類を見ない美しい街並みを作り上げました。
その仙台を見下ろす高台に、青葉城
そう、仙台の街並みと領民の日々の生活を常に思い続けた仙台伊達藩藩祖 伊達政宗築いた仙台城跡が今に残ります
広瀬川にかかる断崖絶壁の自然地形を利用し、一つの大きな峰、山を城とした誠にスケールデカい東北随一の雄藩62万石伊達家の居城でした。
現在は当時の石垣しか残りませんが、中世からの流れ組む武威を重要視する山城と近世からの防御力重視より文化的威圧を表に出すようになった姿勢が混合する魅力溢れる仙台城跡です・・・
仙台城と町割り築いた伊達政宗は、長女で愛娘の五郎八姫(いろはひめ)が徳川家康の六男 松平忠輝と婚礼決まり仙台の街を離れる最後の晩に仙台城の隅櫓に五郎八姫の手を取り登りました。
すると、予め政宗が命じていた、仙台の全ての街角に松明を灯す演出をして、月夜に照らされた美しくも幻想的な景色を嫁ぐ愛娘に見せたと言われます。
若きし頃は戦場駆け巡り、あと10年生まれるのが早かったら天下も、、、と言われた伊達政宗ですが、晩年は穏やかに過ごします。
政宗の詩があります
馬上少年過ぐ
世は平らかにして白髪多し
残軀は天の赦す所
楽しまずして是を如何せん
戦いに明け暮れた若い頃は過ぎた
平和な世になり、年も取り白髪も増えた
今も生き長らえているのは天が許してくれているからか、、、
それなら今を楽しまなくてどうする
400年以上もの歴史間には戦火や天災にもあった仙台
しかし、ソレを乗り越えて今に至る素晴らしい街と人が集う都市となりました。
また来年も必ず杜の都に・・・