プライベート

親の仇討った源頼朝と無念の最後遂げた 頼朝の父の話

歴史に「もし?」があればと考えるのも歴史の深さと面白さの一つかもしれません。

マンシングウェア東海クラシック開催されていた新南愛知カントリークラブ出たスグの所に歴史的に非常に大事件が起こった場所があります。

皆様ご存知の鎌倉幕府開いた征夷大将軍 源頼朝

実は頼朝の父である源義朝が平治の乱で平清盛に負け、都落ちし関東に戻り再起を!時の途中に幾ばくかの家臣とともに、尾張国野間、そう新南愛知カントリークラブあるところ近辺を治めていた領主 長田忠致を頼り、長田家屋敷に逗留しました。

時はその年明けに、長田家屋敷近くに温泉が湧いている湯殿あり、忠致は源義朝を初湯に招きます。

現在の法山寺下に湯殿はありました。

そして歴戦の疲れを癒し、再起を図る思案に温泉に入っていた義朝でしょう。

しかし時の絶対的な権力者 平清盛に義朝を討ち首を持参したら多大なる恩賞に預かるのではないか?から温泉につかる、義朝を騙し討ちしてしまいます。

義朝が無念の内に惨殺された湯殿跡が残ります。

義朝の首を平清盛に持参した長田忠致は壱岐守(いきのかみ・今で言う長崎県知事)に任命されます。

例えたら愛知県の片田舎の町長が長崎県知事になったようなもの、、しかし忠致は美濃か尾張(現在の岐阜県・愛知県)を恩賞として欲しい!

と清盛に直訴し、清盛の逆鱗に触れあわや切腹まで行きますが、何とか助かります。

そして時は流れて約三十年後、義朝の子である源頼朝は関東武士、坂東武者棟梁として平氏を滅亡させます。

その際に父を殺された頼朝ですが、

「我に味方し活躍すれば、美濃(みの)と尾張(おわり)をお前にやろう」

と長田忠致や長田家家臣達に約束します。

その言葉に長田家家臣団達は獅子奮迅の活躍を見せたと言います。

そして鎌倉幕府開き、絶対的権力者となった頼朝は長田父子を父が殺された場所での法要時に、こう伝えます。

「長田父子、約束通りに身の(美濃)終わり(尾張)をやろう!」

松の木に吊された長田父子は父を卑怯なやり口で殺された頼朝により撲殺されます。

もし、あの時に長田父子が武士としての誇り持ち源義朝を匿っていたら、、、と考えたら歴史の中の因果応報を感じさせずにはいられません。

 

 

 

 

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時空少年タケシ
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こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。