今に残る京都御所は、幕末に新しく建て直されたもの。
天皇皇后両陛下住まわれた京都御所
周りには宮家や公家屋敷が立ち並んでいました。
幕末の動乱期に教科書でも習った
禁門の変、別名 蛤御門の変
があります。
1864年8月20日、京都での勢力回復と攘夷目指して長州藩が兵を率いて上京します。
それに対して幕府側、主に会津藩・薩摩藩・桑名藩などの兵が護る、禁裏
京都御所の蛤御門近くから戦闘が開始されました。
今も154年前当時と全く変わらずに残る、蛤御門
よく見ると?
各藩入り乱れての激しい戦での弾痕跡が今に残ります。
少しばかり余談を・・・
京都で400年近く商売されていてお世話になっている方がいらっしゃるのですが、
「ウチは先の大戦で難儀しました。」
と話されたことあります。タケシは、第二次世界大戦、太平洋戦争で身内方が戦死されたのか、、、と話聞いていると、実はこの、蛤御門の変でした。
当時の激しい戦により3万超える京都の寺や家などが焼失したのですが、「先の大戦」が150年以上前とは、、、
さすが悠久の歴史 京の都と恐れいったのを覚えています。
蛤御門さきにあるのは?
ここからの北東に遥か広がる高い御所の築地塀の圧倒的スケールは是非とも一度生で実感して頂きたいです。
タケシは身長180センチありますが、遥かに高い5〜6㍍超える築地塀が延びる圧巻さ
しかし、皆さま不思議に思われることありませんでしょうか?
各大名や武将が住んだ城には堀があり、石垣あり外部からの侵入を寄せ付けません。
しかし、天皇皇后両陛下が1000年以上住まわれた御所には、堀も石垣もありません。
ここに世界に類を見ない皇室の本質があると思うのです。
今でもご高齢になられても災害受けた場所、人々と目線高さ同じにして日本国、日本国民と寄り添う両陛下の姿
ここに本質があると思うのです。
堀も石垣もない、いわば丸腰ですよ
覇道と王道の違い
主義主張の違い別にして、是非とも京都の御所に来て頂きたいと思います。