1週間夏休みを頂いておりましたタケシです。
そう、前回の記事は同志社大学創設者の新島襄が函館からアメリカに当時では密航、渡米した所をお届けさせて頂きましたが、日本に帰国した新島襄は京都御所の北側、今出川御門前に学び舎を開きます。
それが今にも往時の建物残る、同志社大学です。
👆の国の重要文化財になっている有終館は明治20年に開館になっているので、明治23年に若くして亡くなられた新島襄の姿を見た、数少ない建造物です✨
有名な👆の同志社大学クラーク記念館は新島襄が亡くなられた何年後かに出来たんですよ
ちなみに余談ながら・・・
「少年よ大志を抱け!」
の言葉で有名な札幌農学校のクラーク博士(クラーク記念館のクラーク夫妻とは別)
実は、新島襄が渡米してアマースト大学で物理学、数学、化学など専攻し学んでいた時の化学の担当で、初めての日本人生徒が新島襄
それが縁となりクラーク博士、W.Sクラークは来日に至った・・・んです。
事実は小説より奇なり。
またまた余談、同時期にオランダ留学していた榎本武揚なんかも専攻は化学でしたよね?
かの日露戦争で日本を勝利に導いた大山巌大将なんかも、何十年か前に発見された自筆帳にはカナリ高度な数学、数式が記されていて恵まれた環境にないながらも研鑽積まれた先人の偉業を感じられます。
話戻ります🤚
今に残る、同志社大学今出川キャンパスは、現在も学び舎であり観光地ではありませんがおススメ場所です。
隣接する京都御所の荘厳なる雰囲気も散策できますし
今出川御門近くにある、旧 桂宮邸。かの桂離宮は桂宮の別荘になります。
御所内歩いていると?
皇宮警察京都護衛署のパトカーがユックリ巡回しています。
天皇皇后両陛下住まわれた御所、幕末に建てられた現御所の周りには公家屋敷が集まっていました。
公家 橋本家屋敷跡には徳川家茂夫人となり、幕末の政嵐の中を生きた皇女和宮産まれた場所
開国か攘夷か?で揺れ天誅という名のテロリズム跋扈した幕末の京都
公家 姉小路公知が参内終え屋敷に帰る途中、何者かに斬り殺された猿が辻の変、場所もあります。
公家で最後の元老 西園寺公望が学祖の立命館もここから・・・
東京目白にある学習院大学も元々はココが発祥の地
広大な敷地、背筋伸びる荘厳なる雰囲気の京都御所を来週も少しお伝え出来ればと、、、