プライベート

同志社大学創立者 新島襄も箱館港大町桟橋より世界へ・・・

1843年、上州、今の群馬県安中藩士として生を受けた者がいました。

その若者は向学心に満ち溢れ、アメリカでの修学を希望して、21歳の1864年、当時は国禁だった海外渡航を念密なる計画元に実行します。

そう、函館の今は、レンガ造りの建物でオシャレな観光スポットになっている場所から程近い所から若者は旅立ちます・・・

その若き侍の名前は

新島襄(にいじま じょう)

慶應義塾、早稲田と共に私学の雄としてある、同志社大学創立者の新島襄です。

1864年6月14日夜、一艘の舟で沖合いに停泊するアメリカの商船ベルリン号に乗り込み、アメリカに向かいます。

途中、香港経由でアメリカにむかうのですが、その時に新島襄が詠んだ詩が、函館大町桟橋、渡航した場所に碑として建てられています。

男児志を決して千里を馳す

自ら辛苦をなめて あに家を思わんや

却って笑う春風雨を吹くの夜

枕頭なお夢む 故園の花

と新島襄自筆の詩が彫られ、記されています。

意味は?というと

男子たる者 志抱き千里の道をひたすら走る

自分で決めた道、困難や苦労、家のことなど何とも思わない

雨が降り風吹く春の夜 むしろそんなの笑ってしまえ

眠りについたら枕元 夢に故郷の花園が浮かぶ

てな意味合いでしょうが、希望に満ち溢れる新島青年、気概のある詩ですよね

そう、初めて知ったのですが、新島襄の本名は

新島 七五三太(しめた)と言ってたのですが、アメリカに向かう船中でニックネームジョセフ、を船長からつけられてJOEから襄、、、で新島襄に改名したとのこと。

アメリカでの修学とアマースト大学で理学士として卒業し、日本に帰国して京都に同志社英学校開き、同志社大学の礎築いたのは有名な話ですが、その国禁犯し見つかれば死罪覚悟の上での陸から舟に脚を一歩踏み出した大町桟橋で潮風にあたっていると、154年前の新島青年の姿が浮かびました。

 

 

 

 

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時空少年タケシ
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こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。