今年の葛城ゴルフ倶楽部でのヤマハ レディースですが、桜が満開でした
全国的に桜の開花時期早く、桜の花が散った後は新緑芽吹き春本番迎えます
人生模様も同じようなもの
今から約1200年前の平安時代初頭、日本独自の文化花開く勃興期でした。西には大国「唐」(現在の中国)があり、世界でも最先端技術と文化集まる国でした。そして日本からは教科書でも有名な遣唐使が派遣されます。
804年に日本から唐に渡った遣唐使、その中には最澄、空海といった中に
橘逸勢(たちばなのはやなり)
という人物がいました。現在のハーバードやオックスフォード、エール、スタンフォードといった大学に留学する以上に優秀で国家を背負っての入唐でした。そして当時の稚拙な造船技術での渡海は命をかけたものでした、、、
そう、橘逸勢。唐に入国するも語学の壁にぶち当り悩みます。諸分野での学問や実地的な制度学ぶにも語学のマスターが必要になりますが、第一関門でツマずいた訳です(笑)
そこで逸勢は考えます。矛先、目先変えて書や音楽を学ぼうと、、、
当時の唐での詳しい留学生の日常生活記された文献は残されていません。しかし毎日毎日が刺激的で知的好奇心と使命感に燃えた若人にとって最高の場所と時間だったことは間違いないことで、、、数年前に試合で中国・深圳に行った際に、街の食堂で全く英語が通じずに
我要冷的飲
我要美味的麺
と書いて店員さんに渡して通じて、皆で大爆笑しながらビールを飲んだ思い出があります。漢字文化圏の面白さ、深さですよね(笑)レベルは違えど1200年前も根っ子は同じものだったと思いますよ
話逸れました。逸勢は数年唐に滞在した後、日本に帰国します。そして唐で学んだ書は平安京、京の都でも有名になり、役人としても順風満帆な道を歩むことになります。
しかし平穏な日常生活が842年に起こった承和の変(藤原氏による他氏の排斥事件)に巻き込まれて伊豆に流されることになりました。
京の都より伊豆へ行く途中の遠江国(とおとおみこく)に逸勢は病に伏し没します。
そう、その場所こそが葛城ゴルフ倶楽部から車で数分場所にある所なんです。
そして父、逸勢の後を追ってきた娘は父の死を知り仏門に入り、妙冲(みょうちゅう)という尼になり亡くなった場所に住み菩提を弔いました。その場所が、ここ葛城ゴルフ倶楽部から数分所なんです
日本三筆は嵯峨天皇・空海、そして橘逸勢です。
役人の子に生まれ、遣唐使として留学。帰国後、書界の寵児として華やかな道歩み役人としても出世街道歩みます。しかし、晩年に無関係な政治に巻き込まれて都落ちし不遇の中亡くなります。人生の儚さ、1200年前の橘逸勢の墓が残ります。
境内は桜が満開でした
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