タケシは年に2回福岡に行きます。
春先の女子ツアーほけんの窓口と、真夏の男子ツアーライザップKBCオーガスタトーナメントです。
KBCオーガスタは久しぶりでしたが、やはり福岡はよい町ですね
余り詳しくは無いものの、夜に屋台街を歩いているだけで異国情緒とエネルギー溢れる空気を感じることができます。
最近は韓国からの観光客方々が沢山、福岡に来ていて(天神界隈は日本人より比率高いかも!?)日本の福岡というより、アジアの中の福岡。という感じがしました。
さて現在もそうですが、福岡、いや古来よりを考えると「博多」と表記した方が正しいかもしれません。
関ケ原以降、黒田長政が徳川家康より筑前52万石貰い入府し、黒田家発祥地に因み「福岡」としたので、古来よりをある街の名前は「博多」です。
秀吉と島津が争い、街が荒廃するも秀吉が博多の街を復興し今に通ずる区割を決めたのも博多の有力町衆の経済力があったからこそ、博多こそが大陸との文化、貿易などの経済的最重要地で博多こそが今の日本の礎を築いたと言っても過言ではありません。
さて、そのような場所柄なので、日本が蒙古 高句麗(今のモンゴルと韓国・北朝鮮)連合軍が文永の役・弘安の役で日本に攻めて来た、俗にいう蒙古襲来時には、最前線の戦さ場となりました。
渡船技術無い蒙古軍、元の手先案内務めたのは高句麗軍で対馬上陸際は子供、女性も住民皆殺し、博多近郊に上陸際にも女性の手の平に穴を開け鎖でつないだりした、惨たらしい行為をし、今でも東北地方や四国などにも民俗伝承としても伝わる、言うこと聞かない子供に、親の言うこと聞かないと
ムクリコクリの鬼が来る!
と。ムクリコクリとは蒙古高句麗を意味し、800年近くたった今でも伝承されるほどの、鬼畜ぶりを発揮したのは間違い無い事実です。
さて話戻り、秀吉と島津の戦、幕末の福岡藩の動乱と近代化、先の大戦での福岡大空襲により歴史的な建築物は博多中心部には余り残っていません。
しかし、博多の人々、博多山笠の中心地である、櫛田神社には
樹齢1000年超え、先ほどからの博多の全ての歴史を見て来た大銀杏が鎮座します。
昔はスグ近くまで、海岸線が来ていたので蒙古襲来時の蒙古 高句麗軍と鎌倉武士の戦も、この大銀杏は見ていたことになります。
大銀杏の下には
北朝鮮のチュリバリで加工された蒙古 高句麗軍船のイカリが保存されています。
キャナルシティ博多や中州から歩いて2〜3分所に櫛田神社あります。
最近は櫛田の大銀杏はパワースポットとしても有名です。
確かに1000年超え元気に葉を拡げる櫛田の大銀杏、これ以上のパワーは、ありませんね
是非、参拝してみては如何でしょうか?
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