はじめまして、時空少年タケシです。
今後毎週土曜日に記事を投稿していきますが、100パーセント自己満足なのでご了承ください(๑˃̵ᴗ˂̵)
さて、記念すべき1回目は今年の6月初旬に兵庫県六甲国際ゴルフクラブで開催された、サントリーレディース時に行った、日本最古の民家
「千年家 箱木家」
六甲国際ゴルフクラブから車で5分ほどの所にある、日本最古の民家なんです。
日本では寺社仏閣については、室町時代、鎌倉時代、平安時代、奈良時代のものも数多く残されていますが、いざ民家となると、一庶民、一家族、一家系の流れからか時代に流され、戦や離散、天災などにより残存するものは皆無です。
しかし、寺社仏閣などの、ある種の権威とは無縁の何気ない庶民の生きた証ほど、尊いものはありませんし、その綿々たる事実こそが歴史を築き上げてきたと思います。
その様な意味からも、映画「七人の侍」に出てきそうな中世の日本の民家の様式残す、この箱木は大変貴重なものなんです。
先ずは、母屋柱の放射性炭素年代測定により鎌倉時代の1300年ぐらいに建てられたと考えられる、(今から717年前!)、母屋に入って見ましょう
障子などは、室町後期から江戸時代にかけて普及したので、極めて原始的な造りです。
しかし原始的な造り故に、長く保つことが出来る、という側面もあります。
鎌倉時代、室町時代の土豪はこの様な家に住んでいたんですね。
そして、700年超える母屋の横には、江戸時代中期に建てられた離れがあります。
中は
母屋とは全く違う、今の日本家屋に通ずるものを感じます。
当日、色々とこの1000年以上続く箱木家と日本最古の民家
について、お聞きしたのが
箱木家51代目当主 箱木眞人(まひと)さんです。
藤原鎌足を祖先に持ち、兵庫県川西市の多田源氏からも奥方入られた歴史持つ箱木家
眞人さん曰く
「この地に来て1300年経ちます。」
源義経の一ノ谷の戦い時にも参戦し、豊臣秀吉が2年もの攻防の末に三木城の別所長治を自刃に追い込み、播磨平定した時には、当時の箱木家当主は別所長治のもと、果敢に戦い討ち死にされています。
その時の、秀吉が三木城を兵糧攻めしても中々、三木城陥落せず、密偵放ち良く良く調べると、箱木家近くにあった、某大寺院が内々に兵糧を三木城に運び込んでいた事実突き止め、秀吉の逆鱗に触れ、大寺院は伽藍もろとも炎に焼かれて灰燼にきした話などを51代目当主 眞人さんから、お聞きしたときには、このタケシ
鳥肌立ちました
450年ほど前の戦が、生々しく語られ恐ろしいほどのリアル感、醸し出すのは、その戦に参戦していた武将 箱木家の血を受け継ぐ方のみから発せられるリアリズムの極致
教科書に載っているだけが、歴史ではありません
強く逞しく生きて来た私達の先祖
その血を受け継ぐ私達
この事実こそが歴史そのものであると思います。
千年家 箱木家
虚飾なしの真実があります。
時空少年タケシ
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