ツアー

小中学校の同級生久保谷プロ優勝

 

パナソニックオープン

最終日7アンダーとまくってプレーオフの末優勝

私も久々のIJジャンプロとのコンビで、ジャンさん自身2年ぶりのトップ10フィニッシュ!

久保谷健一プロとは古い付き合いで、神奈川県秦野市というところで、当初3クラスしかなかった小学校からの9年間を一緒に過ごした。

そのころは久保谷プロの家は練習場をやっていて、放課後たまに遊びに行って、私も練習場で打たしてもらっていた。
私はネットに届くか届かないボールを打っていた時に久保谷はパーシモンのクラブでネットに突き刺さる球を打っていて、羨ましかった記憶がある。
クラスが一緒になった時は、よくハンドベースボールや将棋、相撲をやったが、相撲はよく決勝戦で対戦した。
あいつは相撲も強かった!

大学を卒業し、私がスキーにはまり、シーズンオフにキャディバイトしていた自分をゴルフ業界に引き込んでくれたのも久保谷プロのおかげである。

「たわし」と言うあだ名は、私の小学校時代からの呼び名で、この業界でたわしと呼ばれるようになったのも、久保谷のせい、いや、おかげである。

(ちなみに久保谷健一プロの昔のあだ名は、クボケン!そのまま短縮形)

優勝者インタビューで言っていたが、今年はシードが切れる「角番の年」

また来年もこの業界でやれる喜びがある。

私は1998年から2003年まで久保谷プロのキャディをやらせてもらっていたのだが、初めてプレーオフが決まって喜んだことは、何打叩いても2位が確定し、シードが決まったことである。
優勝を意識する素振りは全くなかった!

2002年日本プロも、片山晋呉プロとのプレーオフで、1ホール目が終わったときに久保谷プロが口にしたことは、
「1ホール目で終わらなくって良かった〰」と勝つことよりすぐ負けないで良かったという意味あいの言い方で優勝に関しては無欲な感じ。

今回もプレーオフ行く寸前に発していた言葉は、
「嫌だなー」
ですよ!

もう勝負の世界であってテストに行くわけじゃないのだから、その気持ち何?という感じである。

今回のキャディさんはハウスキャディさんであったが、去年もついていたキャディさんである。
身長が高かったので記憶に残っていた。

聞いたとこによると178センチらしい

 

 

久保谷プロの優勝に駆けつけた2003年アメリカツアーで通訳をしていた通称「マーボー」と比較してみた

 

 

マーボーは身長160台

遠近法を使ってかろうじて大きく見える。

18番グリーン横には久保谷プロの人柄もあってか、続々と仲間が集まってくる。
明治大の先輩後輩の深堀プロ、薗田プロ!

これまた同級生で食事を何百回、いや何千回と一緒にした横田プロ。

そんな横田プロも一生懸命背伸びをして写真を撮っている。

 

 

 

 

みんなよき仲間であり、久保谷プロのファンである
そんな私も久保谷プロのいちファンとして、ギャラリースタンドから撮っていた

 

 

(白いキャップが私)

「クボケン、優勝本当におめでとう!」

 

 

 

昔となんら全く変わらないクボケンらしいスピーチでした

(BSでは放送されなかった生スピーチです)

 

 

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ABOUT ME
渡辺 宏之
1971年6月21日生まれ。神奈川県出身。 東洋大学を卒業後、スキーのインストラクターをしながら小中学の同級生、久保谷健一がプロになったことでツアーキャディーに。 2002年に久保谷プロの2週連続優勝の後、2003年USツアーに本格参戦。 2004年から倉本プロのキャディーを務め、2006年から07年はアメリカシニアツアーに参戦。 女子ツアーでは服部道子プロ、古閑美保プロ、諸見里しのぶプロのキャディーを務め、優勝に貢献。 2010年、14年ではシニア賞金王、倉本プロの専属キャディーを務める。 2012年、15年には、I・J・ジャンプロのキャディーを務め、中日クラウンズで2度の優勝。 日本で開催されたUSPGAツアー「ZOZOチャンピオンシップ」では、2021年、マッケンジーヒューズで4位。いままで自身アメリカツアー最高位13位を上回る。 2022年もピーターマルナリティのキャディとして2年連続の参戦。 その年、倉本昌弘プロ(67才)のエージシュート「63」のマネジメント力を間近で感じる。