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松山英樹選手、進藤大典キャディ、全米オープン2位スゴイよ‼️

 

松山英樹選手、進藤大典キャディ

全米オープン2位かっ‼️

よーっ、頑張ったよな、お陰様で寝不足にさせて頂きましたよ(笑)

先に12で上がり、ケプカがビビりあげスコア落とす思うたけどな〜

ケプカは去年のダンロップフェニックスでも優勝しとるよな?

ビビりあげんと、スコア伸ばしての優勝、アッパレだったよな

英樹も地に足ついた、堂々たる武者ぶりよ

16番のショートでバーディ取るも、競技委員から警告でたよな?大典はバタバタしてやなピンさしてな(笑)

しかし英樹は一切ルーティーン変わらずの次のティーショットよ

なかなかアノ雰囲気ん中で出来んぞな

強い上に立つ者は動じんのよ、いつの世も

悔しさ怒りをエネルギーに変える事が出来るから、勝てるんよ

サニー個人的には全米オープンこそが、世界ナンバーワン決める試合やと思うとる

ショット、グリーン周りな、パッティング、精神面、全てや体技心の全てが想像も出来んレベルで要求される

日本のコースでは、そんなコースありゃせんよ

取り敢えずグリーン周りまで持って行けるし、何とかなるやろが?

しかし全米オープン開催のコースは、そうはいかんよ

全米オープン言うて思い出すのがな、1995年シネコックヒルズでの全米オープンよ

ニューヨークのロングアイランドにある、荒涼とした大地と丘が織り成す、武者震いするようなコースよ

インディアンの墓地かなんか、あった言うとったからな、インディアンがクラブのマークにもなっとった

ジャンボ尾崎、サニーのゴールデンコンビが、難コースで2日終了してな、2位

3日目はノーマンとの最終組よ

しかしグリーン上から流れ作れず、最終的には28位で終わったんやがな

そん時、現地での通訳やアテンドと色々とお世話になったのが、化粧品のコーセー知っとるやろ?

コーセーの小林さんと山村さんやったよ

小林さんは、いまコーセーの社長になられたんよ

いやぁ〜ヤハリ品がありましたよ

ジャン兄、サニーみたいにビール飲んでからプハ〜ッ‼︎言わんよ(笑)

懐かしいよ

そう。ジャン兄、サニーもな

日本、日本人、日本ツアー代表し、背負うて戦っていた自負あったし、誇りがあった

古くさい言われようが後悔しとらん。

色々そん中に入ると見えてくるもんあった

そこにいないと、見えんよ

マル(丸山茂樹プロ)、直道(尾崎直道プロ)は、そん中で戦い、新しく見えて来たものから逃げることなく、うち勝って来た!思うたら只々敬服ですよ

ホンマに・・・

それからなメジャー出とる、特に決勝ラウンド進出した連中ん中でショット力は、言うほど変わらんよ

昔も今も・・・

しかしな、パッティングは全て背負っての最終作業やろ

ここが生命線でもあり、今の自分を映し出す鏡でもある

全米オープンな

1989年のオークヒルでの全米オープン

ジャンボは最終日の13番で首位に立った

14番ティーショット、右ラフ入れ6位に終わったが

1992年ペブルビーチは23位

1993年バルタスロールは33位

1994年オークモントは28位

94年のオークモントの練習ラウンドは加瀬(加瀬秀樹プロ)と回ったよ

英樹と大典の全米オープンでの戦い見とったら、走馬灯の様に記憶が蘇ってきたよ

サニーもまだ、ボケとらんよ(笑)

そうよ、パッティングは自分の心写す鏡よ

ショット良くてパター外し外しパターンで崩れたりよう、あるやろが?

逆にグリーン外しても2メートルぐらいに寄せてな、それをポーン、ポーン入れて行ったらリズム出てくる、後者の方が慎重にもなるし謙虚になるから、良かったりする場合もあるよな

しかし最後はパッティングよな

難しよな・・・うん。

メジャーな

英樹、大典見とったら堂々たるもんよ

背負うものが大きくなれば

負けた時の悲しみが倍になり

勝った時には倍になる

それが戦う男の宿命であり

生き甲斐だと思う。

羽ばたいて行ってな‼︎

そうよ、思い出したよ

英樹が頑張っとるんと同じくらいに写してくれとは言わんが

智(小平智プロ)、優作(宮里優作プロ)写してくれてもええんちゃいますか?

英樹がパッティング練習しとる姿よりも、日本人選手が決勝ラウンド戦っとるんよ

ビッグ3も予選落ち、錚々たる面々苦労しとる中で、特に智なんか踏ん張ってたやないですか?

決勝ラウンドに進出した日本人選手は絶対に写して、皆に知って貰う絶好の機会やないですか?

正直、悔しいよ

アイツらが上手くいかんなか、必死のパッチに戦うとる姿みたい、そして応援したいよ

智、優作

胸張って帰ってこい!

おつかれさんな

全米オープン終わり、暫くしとるから冷静に書ける思うたがな、高ぶってくる、込み上げてくるもんあってな、サニーもまだまだ若い証拠よな

ほなな

キムニーとサウナ行ってくるわ

 

 

 

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ABOUT ME
佐野木 一志
1948.2.12生まれ。徳島県出身、愛媛県松山市在住。 1964年、選抜高校野球大会では徳島海南高校一塁手として全国大会優勝を果たす、 このエースでマウンドにいたのが尾崎将司・・・・ 早稲田大学野球部時代は都の西北に美男子佐野木有り。 と言われたとか言われなかったとか ジャンボ尾崎専属キャディーとして 通算32勝、賞金王・海外メジャーでも常に現場にいた。 ゴルフを愛する気持ち、熱い思いと現場に拘ってきた、 それこそが佐野木ズム。