ツアー

ジャン兄ぃ、ありがとうございました!

2025年12月23日15時21分
爆音轟かせ豪快にジャンボ機は飛び立ちました。
紫色の飛行機雲とともに

徳島、阿波の宍喰に生まれ育った貴方
眼の前には大海原、背後には緑濃い山々が連なる私達の故郷
私は、生まれた時から、ずーっと貴方の2クラブレングス内にいました。

先の大戦では、飛行機乗りだった、貴方の親父さんが、中学校にあった鉄棒で大車輪かまし、宙返りしながら着地
自宅の屋根に上り、逆立ちして、キェーッ!と大声を発したのを、昨日の様に思い出します。
強烈な親父さんでした
その血を貴方は受け継ぎました。
小さな時から鮎や鰻取りながら、遊んだ宍喰川
そこに、民部岩と言う岩があります。
戦国の世、土佐の長宗我部元親が宍喰に攻めてきた時に、宍喰を治めていた、多田民部言う武将が、敵の陣に降るを良しとせず、この岩上で
「宍喰侍、此処に在り!」
言うて、腹を掻っ捌いたと、小さな時から聞き育ちました。
貴方は、どう生きるか?よりも、いかに美しく最期を迎えるか?
美学。
まさに、宍喰侍そのものだったと、痛感しています。
晩年、「山河」と言う歌を好まれ歌われました。

顧みて 恥じることない 足跡を
山に 残したろうか
永遠の 水面の光 増す夢を
河に浮かべたろうか
愛する人の瞳に 愛する人の瞳に
俺の山河は美しいかと 美しいかと

小椋佳さんの素晴らしい詩がありますが、貴方の人生そのものです
貴方の山河は美しかったです!
そして、強く、大きく、優しく
貴方は富士山が大好きでしたね
「富士の山には連らない、孤高の美しさがある。」
そして、何と言っても日本一ですよ


asmo

2026年3月16日に、帝国ホテルで1,000人を超える、貴方を慕う方々が集まり、お別れの会が開かれました。
僭越ながら、私は弔辞を読ませて頂きました。

ジャン兄ぃ、本当にお世話になり、ありがとうございました。
イラチの貴方ですが、私を呼ぶのは、もう少し後にして下さい。 
地元松山の仲間、愛するワイフ、家族、そして可愛い後輩達と、もう少し、いさせて貰いますね
お別れの会、一般献花の時にも、1,000人を越える、後ろ髪伸ばした
ジャンボズ アーミー
が、沢山来てくれていましたよ
貴方は私に、人と沢山の思い出を残してくれました
金を残すは三流
名を残すは二流
人、仕事を残すは一流
と、言われますが、貴方は超一流です
金を残さんかったのも、貴方らしい!
貴方が残した精神、言葉、生き様、はにかんだ時の堪らん笑顔、、、
沢山の人に受け継がれていますよ

お別れ会では、よったかちゃん(山本善隆プロ)、通ちゃん(中村通プロ)も、大阪より来てくれていましたよ
あっちでの、マッチプレーを楽しみにしてるは!
その時は、また私がバッグを担ぎますね

ジャン兄ぃ、本当にありがとうございました。

 佐野木 一志


asmo
ABOUT ME
佐野木 一志
1948.2.12生まれ。徳島県出身、愛媛県松山市在住。 1964年、選抜高校野球大会では徳島海南高校一塁手として全国大会優勝を果たす、 このエースでマウンドにいたのが尾崎将司・・・・ 早稲田大学野球部時代は都の西北に美男子佐野木有り。 と言われたとか言われなかったとか ジャンボ尾崎専属キャディーとして 通算32勝、賞金王・海外メジャーでも常に現場にいた。 ゴルフを愛する気持ち、熱い思いと現場に拘ってきた、 それこそが佐野木ズム。