30数年前に試合観戦で、ジャンボさんとキャディの佐野木さんを、初めて見た時以来、ゴルフツアー業界で働く事、ツアーキャディとして生きていきたいを夢見て現在に至ります。
30数年が、たちました・・・
1996、7年頃から、プロから名前を覚えて頂け、試合でキャディをさせて頂ける様になりました。
1996年、ジャンボさんが3連覇したダンロップフェニックスは凄い人、人、人でした。
私は山本善隆プロのキャディだったかな?
当日、クラブハウスメイン館と別に、フェニックスCCホテルがあり、フロントに可愛い子がいて、順位が下の方で早く終わったので、その子に逢いに行っていたのは記憶しています🖐️
翌年1997年中日クラウンズでも3連覇を達成されたジャンボさん
キャディをさせて頂いた選手が予選落ちだったので、土曜日・日曜日とジャンボさんの組のギャラリーをしていました。
その時も人、人、人でした。
その中心にはジャンボさんがいらっしゃいました。
ジャンボさんを中心に日本のゴルフ界は回っていました。
ジャンボさんに名前を覚えて頂き、名前で呼んで頂けるようになれば、ゴルフ業界で飯を食っていける。
20代の私が、本能的に感じた事です。
1999年、ご縁を頂き、その年賞金ランキング2位の細川和彦プロのキャディをさせて頂ける様になりました。
シーズン締めくくりの、東京よみうりCCでの日本シリーズ、朝のパッティンググリーンでジャンボさんがいました。
細川さんと話をしています。
マネージャーの宮下さんが、ジャンボさんにユンケルを渡します。
1番高い、ユンケル黄帝とかいう3,000円ぐらいのです🖐️
グビっと飲み干したジャンボさん、タバコ吸い殻入れの下に空き瓶を置きました。
その時、細川さんが
「おい、小岸、そこに捨てたらダメですよ、って言ってこいよ」
冗談を間に受けた私は
「ジャンボさん、空瓶をアソコに捨てたらダメだと思います。」
言っちゃったんですよね
まー、正直アカンと思いましたしね
そうしたら、ラオウの如くのオーラ纏うジャンボさんが、目の前に近づいてきて、私を3秒ほど無言で見つめられました。
何も怖くなかったですよ
むしろ、慈愛の眼差しでした。高圧的な眼差しなんて一切無かった・・・
(空き瓶は、最初からマネージャーが回収予定だったので、場を外していて予定通り回収されました)
その試合で、私はツアーキャディとして初優勝させて頂いたのですが、翌年開幕戦には
ホソのキャディ(細川プロのキャディ)と呼んで頂け、2000年中日クラウンズ時に、初めて
「オギシ」
と、呼んで頂けました。
本当に嬉しかったです
納屋橋の安いビジネスホテルに戻り、一人になっても、嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした
その夜は、ビールが止まりませんでした🍺
それから、色々な選手のバッグを担がせて頂きましたが、ジャンボ軍団でもないのに、名前で呼んで、いじって、可愛がって頂ける様になりました。
ジャンボさんからは、唯一俺の部屋に入る事を許す🖐️
通行手形を、そちに発行しよう!
クシャクシャの笑顔で言ってくれました。
ジャンボさんと私の趣味が、ドンピシャだったのもあるのかなぁ〜
ジャンボさんの部屋なんて、歴史や文化、宗教学の本が凄いんですよ
小説もありますが、一次資料的な、その道の研究者が読む本も読んで理解されているんですよ
試合中に、2人で食事をさせて頂ける様にもなりました。
ジャンボさんが、一番腹を抱えて爆笑されたのが、大洗GCでのダイヤモンドカップ時に、水戸で食事をさせて頂いた時です
「小岸、メチャクチャおもしれぇよ!本質突いてるよな、明日、クラ(倉本昌弘プロ)に言ってみろよ!」
どんな話かというと
ジャンボさん
「西郷隆盛の写真が残ってないよな〜
弟の西郷従道と従兄弟の大山巌を足して2で割ったのが、今ある西郷隆盛と知られているので、イタリア人画家キヨソネが会った事もないのに描いただろ?
隆盛の奥さんが、上野公園の西郷隆盛除幕式で、うちの西郷は、こんなんじゃなかっ!言うたのも事実としてあるよな〜」
私
「そうですよね、日本のどこかに西郷隆盛の本当の写真が眠っているかもしれませんよね!
あっ、ジャンボさん、前から思っていた事あるんですが、言わせて頂いて宜しいでしょうか?」
ジャンボさん
「何だよ、言ってみろよ」
私
「風の如く自由に飛び回る青木さんは坂本龍馬、冷静沈着なトミーさん(中嶋常幸プロ)は大久保利通
そして、沢山の武人(ツアープロを意図して発言した)から慕われているジャンボさんは西郷隆盛ですよ!」
ジャンボさんの部屋に西郷南洲遺訓の本もあったので、少しごまスリもあったのかな?
でも、実際そう思ったし、ジャンボさんも、まんざら的な表情でした(笑)
私
「ジャンボさん、三者三様ですが、安心して下さい🖐️三名方には共通点がありますから」
ジャンボさん
「何だよ?」
私
「暗殺されてるか、割腹で亡くなられてるので、畳の上では死ねてません!」
ジャンボさん
「バカやろう!笑
じゃ〜、クラ(倉本昌弘プロ)は誰だ?」
私
「倉本さんは、岩崎弥太郎ですよ、ビジネスマンで商売人ですから、渋とく生き残りはりますよ、あの方は!😀」
ジャンボさん
「間違いないよな!クラは岩崎弥太郎か?(大爆笑😂)」
まー、当日、倉本さんには言えませんでしたけどね
私はキャディです。プロではありません。
雲上人であるジャンボさんに、ゴルフの話なんてした事は一切ありません。
畏れ多いですよ
しかし、ジャンボ軍団以外、唯一キャディで
「小岸!」
と名前を呼んで頂き、2人飯ご飯に連れて行って頂き、いじって頂き、可愛がって頂き、、、
本当に有難うございました。
「富士山は連なっていないから美しいんだよ。」
「生き様より死に様。葉隠れだよな、武士道とは死ぬ事と見つけたり」
生き様よりも死に様の美学を貫かれたジャンボさん
ジャンボさん、本当にカッコ良すぎますよ
でも、倉本さんみたいに、渋とく、もっともっともっと生きて欲しかったです
本当に、有難うございました。
毎晩寝る時も、起きる時も、鬼門の方向にジャンボさんから書いて頂いた色紙を置いているので、寂しさ少しはまぎれます
でも、思いだすと、また泣いちゃいます
涙が止まりません
「俺は魔除けか?」
天国から声が聞こえそうですが、魔除けでありません
いつも一緒にいたいだけです。
本当に有り難うございました。
宍喰のお墓には、佐野木さんと来年の夏に参らせて下さい。
小岸 秀行
ありがとうございました。
さようなら









