プライベート

つわものどもが夢の跡〜こんぴらレイクサイドゴルフ倶楽部

手元に、じいさんのアルバムがあります。

そこには、約50年前の1976年10月4日に、香川県の金比羅山の近くで開場し、2017年12月31日で、ゴルフ場としての役割を終えた、こんぴらレイクサイドゴルフ倶楽部の開場記念式典日の華やかな写真がありました。

41年の短いゴルフ場としての時間
全国的に全く知られていない方々、コースかもしれませんが、じいさんが関わり、私の幼少期、おぼろげながらその方々中に居た私が現在、ゴルフ場で働かせて頂いている理由、ご縁、感謝、形は無くなれど先人方々の熱い思いを掘り起こし、歴史の片隅に残し紡ぐ使命感etc
色々な思いから、現在は太陽光発電として、活用されている、こんぴらレイクサイドゴルフ倶楽部跡地を訪ねて来ました⛳️

今は無き、こんぴらレイクサイドゴルフ倶楽部⛳️
1976年10月4日に、地元坂出市出身の四角誠一氏が発起人、理事長となり、開場しました。
明治26年生まれ、で京都帝国大学から大阪ガス副社長、退任後は茨木CC理事長や関西ゴルフ連盟理事長、日本ゴルフ協会理事も歴任されました。
同氏は、故郷に、自分が理想とするゴルフ場を創りたい・・・
この思いに、友人の設計者である、J.E.クレーンさんや、私のじいさん

🎤持つのが、じいさん
隣は設計者の鈴木正一さん?
と、J.E.クレーンさん

沢山の方々が賛同して、開場になりました。
しかし、全国的に、イケイケドンドンの時代だったのでしょうね
最盛期は年間500万人を超えた、金比羅参りの参拝客
お伊勢さんと金比羅参りは、江戸時代、東国からも沢山の人が参拝に来ました。
昭和に入るも賑わい続けました。
ゴルフ場設立にあたり、金比羅参りで、沢山のホテルや旅館宿泊客中に、ゴルフされる方々を、組入れてのビジター客確保、地元経済界方々との連携を考えておられたのでしょうか?

1993年には売上高が10億8千万円になります。(27ホール)
ゴルフ場に携わった人間なら、地方のゴルフ場が、この数字を出している事自体、信じられないものですが、93年のバブル崩壊しつつある年で、、、
しかし、2,000年には6億になり、他のコースとの価格競争などもあり、閉鎖前の2017年のプレーフィーは

時代の流れもあり、27ホール→18ホール(9ホールは太陽光パネル)、メンバー退会者は預託金88%カット、12%は分割返済、メンバー継続者は、預託金70%カットし、30%は新預託金として据え置き。などの変遷を辿りましたが、2017年12月31日に、経営者替わり、ゴルフ場としての人生を終える事になりました。


倉敷プリン

日清都カントリークラブ

当日、跡地にお邪魔させて頂く事が出来ました。

上のクラブハウスは撤去され、茶店が管理事務所として使用されていました。
閉鎖されて約8年ですが、ゴルフ場としての趣が全くと言ってよいほど無くなっていました。しかし

元・東コースのNo.9 par 5だったホール
東コースだから、クレーンさんが手がけられたホールです。
このホールだけは、名残りが、ありました。

ゴルフ場としての役割を終えて、太陽光発電所として、新たな道を歩んでいる事に、特段何の思いもありません。
しかし、近しい方々が、熱い思いで、造ったゴルフ場跡地に、今初めて自分の足で立ち、自分の眼で見て、植えられている楠を触り、目を瞑ると涙がボロボロと出てきました。
何の涙か分かりません。
しかし、ゴルフ場で働く者として、改めて強く感じ思った事があります。
・高い位置でのブランディング
・10年後、30年後、50年後も、「ゴルフ場」として、価値されるモノを創り・築き・紡ぐ大事さ
・安定した経営基盤と戦略
・どの様なゴルフ場であるのか?ブレない、本質を護り抜く理念と価値観の共有
・何を武器にするか?
そして、教科書に掲載されているだけが歴史ではありません。
沢山の先達がいて、今があります。
昨晩、こんぴらレイクサイドゴルフ倶楽部を設立し、理事長されていた四角誠一氏を知るであろう方に電話をしてみました。
元関西ゴルフ連盟事務局長で、大阪大学体育会ゴルフ部を作られた方、現在は鳴尾GC常務理事、千刈CC顧問などもされておられる、三谷賀一さん
じいさんの代から、50年ご縁を頂いている、関西ゴルフ界の生き字引き方です😀

「四角さんね、良く知っていますよ。私が高校3年生(大教大附属池田高校)時に、一人で千刈をラウンドしていたら、前の組に追いついて、ちょうど四角さんが御子息、お孫さんとラウンドされていましてね、一緒に回ろうとなりました。
自己紹介しましたら、あー、三谷くんの息子さんか?お父さんと声似てるよな、声で分かったよ。と、言われたのを覚えています。
1993年だったかな?
99歳で亡くなられて、豊中のご自宅まで葬儀に行きましたよ
皆、四角さんは100歳まで絶対行く!って言われていたぐらいエネルギー溢れる方でした。」

数十年前に植えられたでたろう、大きなユーカリの木
琴平レイクサイドの看板
往時を偲ばせるモノを確認し、帰路につきました。
行って良かったです。
先達の魂を、また一つ我が心に刻む事が出来ました😀

つわものどもが夢の跡


ニチコン


丸安産業


ジャパンクリエイト
ecc
ABOUT ME
小岸 秀行
1973年11月8日生まれ。立命館大学経営学部中退。 1995年福澤義光プロのキャディーをきっかけに、ツアーキャディの道へ。過去に岡本綾子プロ、細川和彦プロなど、2008年から5年間矢野東プロと専属契約。2013年からは川村昌弘プロと専属契約し「パナソニックオープン」優勝。 2019年度は女子ツアーメインで参戦する。 2021年11月9日付で京都府宇治市の日清都CC支配人就任。日本初の支配人兼プロキャディ 通算6勝