プライベート

永遠に、貴方は私の太陽です。

長嶋さん、貴方は私の永遠の太陽です。
小学生の時に、宿直室にテレビがあってな、天覧試合で活躍された長嶋さんを見てから、野球に魂を奪われた。
いや、長嶋さんに魂を奪われ、野球を熱心に始めたいう表現の方が正しいかもしれません。
長嶋さんと、うちのお袋は誕生日が同じ
徳島から花の都に上京、対戦する立教のユニフォーム見ても長嶋さんのことしか考えられんかった
立教は本来、RIKKYOやがRIKKIOと表記するよな
大正11年やから、今から104年前にデザインした方からの伝統やな
関西学院も、本来KANSEIやがKWANSEI
古き良き大正の香り、品位あるアカデミックな遊び心を感じますね
そう、現役でプレーされている時も、長嶋さんと一緒に時を重ねて来たぐらいの思い入れを持って生きてきた
昭和49年10月15日に、長嶋さんが引退される日も、よう覚えとる
とある、ゴルフ場の開場担当する仕事しとって、何ヶ月も朝から晩までバタバタの日を過ごしとってな
ぶっ倒れて入院、引退される御姿は、病院で見させてもうたよ(笑)
そして、その恋焦がれ憧れ雲の上の長嶋さんとは、ジャン兄ぃのキャディをする様になり、お会いさせて頂ける様になった
何回もメシ、ご一緒させてもうてな
ダンロップフェニックスで宮崎ステイ時な、ジャン兄ぃとサニーが、来宮されておられた、長嶋さんと18時から晩飯を、、時な
もう30分前から、二人で店内に入り、下座に正座で、お待ちしていましたよ
ちょうど、18時ぐらいやったかな?
スーッと襖が開き
「どーも、ジャンボ、佐野木ちゃん、お待たせしました!」
眩いばかりの笑顔で来られた、色白の肌、澄んだ瞳、人にはオーラ、後光がある言うけど、ありゃホンマぞ
阿弥陀如来の後光の様に、世の中を照らす、自然と笑みが溢れるオーラなんですよ、長嶋さんは
ジャン兄ぃもワシも、少年の様に、はにかんだん鮮明に覚えとるよ
Mr.プロ野球やが、ゴルフ界の事にも大変気を遣って頂き、多大なる御貢献を頂いた
長嶋さん、本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。
安らかにお眠りください。
長嶋さん、永遠に、貴方は私の太陽です。

 佐野木一至


asmo
ABOUT ME
佐野木 一志
1948.2.12生まれ。徳島県出身、愛媛県松山市在住。 1964年、選抜高校野球大会では徳島海南高校一塁手として全国大会優勝を果たす、 このエースでマウンドにいたのが尾崎将司・・・・ 早稲田大学野球部時代は都の西北に美男子佐野木有り。 と言われたとか言われなかったとか ジャンボ尾崎専属キャディーとして 通算32勝、賞金王・海外メジャーでも常に現場にいた。 ゴルフを愛する気持ち、熱い思いと現場に拘ってきた、 それこそが佐野木ズム。