今から約140年前の明治22年、日本橋の魚河岸にあった、屋台鮨「蛇の目鮨」が始まり。
蛇の市鮨の名付け親は、かの文豪 志賀直哉。
志賀直哉といえば、1920年(大正9年)に小僧の神様という、鮨屋を巡る短編小説も発表していますが、個人的に夏目漱石、志賀直哉は大好きな文豪。読みやすいんですよね文体が、脳に要らない負荷が、かからない
話逸れましたね✋
場所と言い、歴史と言い、コレぞ江戸前寿司の本流中の本流、そんな蛇の市鮨ですが、場所は?
日本橋を渡り三越百貨店を左手に見て、、ちなみに上の「日本橋」の字を揮毫された人物をご存知でしょうか?
1911年(明治44年)にルネサンス様式で造られた日本橋
この字を揮毫したのは、最後の将軍 徳川慶喜公なんです。江戸から明治、大正まで御存命だった慶喜公ですが、江戸の香りが微かに残る、感じる場所、日本橋
当日は昼間一人鮨でした。銀座や日本橋界隈でショッピングするマダム、しかも私のお袋かそれ以上の、やんごとなき雰囲気の方々がお見えになる私のイメージ
銀座から日本橋三越に来て、昼食は蛇の市本店ですの。的な
私は初の蛇の市本店でした。
場所、金額、店の在り方などを考え、どのような客層をターゲットとしていて、また実際来店しているかを考え、確かめる楽しみ🎶
またね、コレが当たるんですよ(笑)
当日私は一人でカウンターに、写真撮る時の音が不粋(撮る行為自体もですが)なので、撮り方も自然にさりげなく、、、いかにも高そうな生地質の80歳ぐらいの大奥様2人、右隣には70歳ごろの奥様はツマミ頼み、日本酒を🍶
左隣には商社金融部門か外資系金融会社であろうと思われる、歳の頃35前後のエリートビジネスマンが2人座っていました。
取り敢えず私はブレることなく
筋子粕漬けをツマミに
ヒラメ昆布〆
アカイカ
スミイカ
生鳥貝
この季節、旬の味
貝の中でも、特別大好きな生鳥貝
春子鯛
マグロ赤身
マグロ中トロ
マグロ漬け
車海老
イクラ
ウニ
煮アナゴ
創業時より、注ぎ足し注ぎ足しで伝承されてきた煮詰め。甘味より塩味が強い感じですね
煮ハマ
平貝
〆は玉子とかんぴょう巻き
「環境が人を育てる。」
間違いないですよね、自然淘汰の原理原則が生きていますよね、銀座や日本橋は、、、
永年愛されるには訳があり、守破離の典型なんでしょうね、私なんぞ地方の田舎モンにゃ〜、全く別世界ですが
因みに、左隣の金融ビジネスマンの1人はインド、デリーに駐在するそうですよ、奥様は反対らしいですが
耳ダンボ状態(笑)
ニギリも良し、雰囲気も良し、客層も良し
しかし、東京のハイソサエティのあの独特の雰囲気が垣間見える蛇の市本店
あ〜、楽しかった🎶
親方も多分初等部や幼稚舎から青山学院とか慶應なんですよ、知らないすけど
色々な意味で非常に楽しく、刺激を頂いた初蛇の市本店でした。
昼間の鮨屋も楽しゅうございました✨
265店目
会計は諭吉1人、漱石2人
日本橋室町、蛇の市本店
江戸の残り香がしました。