ツアー

US Open 第3ラウンド

決勝ラウンドに進んだ64人を待ち受けていたのは、季節外れの寒さと強風でした。

この日は、マケロイとワイズ組につく予定でしたが、急遽ジョン・ラームとヘイデン・バックリー組に変えられました。
ジョン・ラームはディフェンディングチャンピョン、連覇に向けての意気込みは強いと思うので変更を気持ちよく受け入れました。
当日は、スタートの4時間以上前にコースに到着しました。流石メジャーの週末、朝から大勢の観客で身動きが取れませんでした。先ずは、時間があるのでショップに行くことにしました。ショップは大混雑、更に寒さ対策を忘れて来た観客がアウターウェアを求めて殺到しているようにも見受けられました。
僕は、コインマーカー、タオルなどの小物を購入しました。ショップの担当者から聞いた話ですが、毎分$1,000の売上があるとのことなので、一日の売上は$780,000、即ち日本円で1億500万円!衝撃的な金額に驚きました。


第3ラウンド、最終組前のスタートです。ジョン・ラームとヘイデン・バックリー共に4アンダーで首位と一打差。

風がビュービュー吹き、天気も怪しくなってきて、Weather Warningレベル3が発令される中でのスタート。
両選手共に風を読みながらのティーショットを打ち、フェアウェイキープならずのスタートとなりました。ラームはツーオン成功、バーディチャンスにつけるがパットが入らずパー。明らかにイライラしていました。

どんどん寒くなって、選手もセーターを着たり、ジャケット着たりと防寒対策を始めました。


そこからも、コースセッティング、風と寒さとの戦いがプレイヤーにのしかかりラームは放送禁止のFワードを連呼していました。世界のトッププロが100ヤードのアプローチショットでピンを20ヤードオーバーするなんて殆ど見ませんが、風が瞬間的に止まって結果的にそのような状況になった場面が多くありました。
「何で俺の打った直後に風が止むんだ、クソ〜」と大声で言う場面、クラブを叩きつける場面など、イライラはラウンド中ましていくばかりでした。バックリーはもの静かに淡々とプレイをしていましたが、なかなかショットもパットも安定せず、出入りの激しいゴルフでスコアを5つ落として+1で終了。ジョンラームはイライラの絶頂から解放される転機が後半の14番パー5で訪れました。13番で短いアプローチをオーバーして3パットボギーにした後の怒りのドライブは326ヤード。ツーオン狙いで打ったセコンドはグリーンサイド右手前のラフ。そこから見事なアプローチでカップまで2メートル。ラインをしっかり読んでバーディ!これで落ち着きを取り戻し、15番ホールでは素晴らしい358ヤードのティーショットはフェアウェイを捉え、ツーオン成功!9メートルのパットを沈めて連続バーディで4アンダー首位タイ!続くパー3も素晴らしいティーショットを7メートルにつけ三連続バーディのチャンス。パットは惜しくも入らずパー。ラーム自身は読み通りに打ったのに入らなかったので「なぜだー!」と天を仰いだ。続く17番、ティーショットをグリーン手前32ヤードに打ち、セコンドをピン手前2メートル、見事にバーディを決めて5アンダー単独首位で最終ホール。前の組が未だクリアでない状況下、キャディとどのラインで打つかなど時間をかけて話し合っている声が聞こえました。ティーショットは無情にもフェアウェイバンカー直撃で高い顎の手前。二打目はクラブ選択に迷うも「これは行ける」と打った球は顎に直撃して足元に戻ってきました。足跡に入りそうでしたが、何とかセーフ。三打目は同じ失敗を繰り返さないために短いクラブで打ち、バンカー脱出したものの、グリーンサイドバンカーへ。その球は半目玉状態。USGAのオフィシャルがボギーも至難の業だなと僕に耳打ちするほどでした。結果四打目はバンカーから出すだけ、6メートルのボギーパットを残しました。ボギーパットは惜しくも入らず、ダブルボギーで3アンダーでラウンド終了。首位と一打差で最終ラウンドを迎えることになりました。




多くのドラマがあった、この第3ラウンド、コーストの戦いだけで無く、選手自身との戦いがあったと痛感させられました。

ところで、スタート前に出されていたSevere Weather Warningですが、ラッキーなことにコースの北東スレスレを通過して、無影響でした。

第3ラウンド首位発進のコリン・モリカワは8打落としてしまいました。

日本の松山選手も首位と6打差。まだまだ最終日にm上位を狙える位置にいます。

最終日、雨と風と寒さが予報です。どんなドラマがうまれるかが楽しみです。


ecc

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ABOUT ME
フランク 早川
1963年1月生まれ。アメリ生活45年、ニューヨークにてITのコンサルティング会社を営んでいる。ゴルフ歴40年、とにかくゴルフをこよなく愛している。40代の頃はニューヨークで5本の指に入る腕前で今でも多くのアマチュア大会に参戦している。現在のハンデは7と低迷しているが、ニューヨークのアマチュアゴルフ界では知らないものはいない存在。 2003年からPGA・LPGAツアー並びにUSGA Championshipにてスコアラーのボランティアをはじめ、FedexCup Playoff、PGA Championship、US Openの上位グループのスコアラーも任されるようにまでなった。 またTokyo 2020では、ゴルフの競技委員として招待されるまでのレベルになる。米国内のクラブフィッター、ティーチングプロ、PGAプロ、フィジカルスセラピストとの交友も深く、常にゴルフ関係の動向にアンテナを張って生活している。