かれこれ学生アルバイト時代から約30年
私は雪のない神奈川県の市の行事でスキー教室に行き、そこからスキーの魅力に取りつかれ、スキーインストラクターの仕事につくようになった。
当時はスノボーも流行り出していたが、私のスキーバイブル
「私をスキーに連れてって」という映画も火をつけて、スキー界にはまった
私の初めのスキー教室も原田知世が白いウェアきて映画の舞台になっていたのも志賀高原横手山
(日本で一番標高が高いところにリフトがかかる山)
2307メートル
今はそこにある志賀パレスホテル(私の初めのスキー教室で泊まった宿)や湯田中温泉一茶のこみち美湯の宿にお世話になっている
https://shigapalace.co.jp/
https://yudanakaview.co.jp/
だが今年は、兵庫県ハチ高原スキースクールの校長から連絡があり、そちらをメインに手伝いをさせてもらうことになった
兵庫県の一番高い山が見えるハチ高原
(今年は雪が多すぎて雪予報ばかりでこの日も見えず)
今年もキャディ仲間のツッキーにきてもらい、スキーのお手伝い
(一応、日本プロスキー教師資格のシルバー)
私は生徒を教えるというより、スキーインストラクターが生徒へレッスンする方法やスキー班のサポートやパトロール、インストラクターに欠員が出たときのなんでも屋にまわる
(チュースの赤いパンツをはいているのが私)
冬は普段着を着ることはなく、スキーウェアかパジャマしか着ない
この様子を取り上げてくれたのが、元宮里聖志プロや宮里藍プロのキャディをしていたミナ
是非「Regina」の記事をお読みください
他のキャディもそれぞれ頑張っているので、私の頑張っている滑りも載せておきます
https://trilltrill.jp/articles/2363199