幕末土佐藩藩主の山内容堂は、山内家が小大名から土佐一国24万石の大大名に引き立ててくれた徳川家に対して個人的な恩義を持ち続けた人でありました。
しかし時代は欧米列強がアジアの諸国を植民地として、隣は大国、清がイギリスの餌食となり其の情報は逐一日本にもたらされ国防の意義と、「國」といった個人や藩、村を超える概念が新しく噴出勃興する時代でもありました。
現在の幕府では何れ日本も欧米列強に、、
と関ヶ原の戦いで西軍として戦い、江戸時代は外様大名として幕政運営から遠ざけられて来た、薩摩、長州、肥前、土佐などの藩に其の意識が特に芽生え水戸国学などと結びつき、倒幕尊皇攘夷運動となり、後は皆さまご存知の通り✋
昨年から続く土佐・阿波路
そうです、忘れていました
新年あけましておめでとうございます🌅
本年も宜しくお願い致します🙇♂️
そう、幕末の土佐(高知県)も新しい時代を夢見て東奔西走し短い人生を走り抜けた侍達が沢山いました。
有名なのが昨年このシリーズでお届けさせて頂いた坂本龍馬と板垣退助、そして今回は?
中岡慎太郎です。
最期は坂本龍馬と一緒に京都見廻組に暗殺されてしまいますが、土佐藩代表する幕末の志士です。
維新や志士や賊軍、正義などといった言葉、個人的には大嫌いなのですが・・・
中岡慎太郎は現在でも山奥の高知県東部の大庄屋に生まれます。
少年青年時代に勾配きつい山道を藩校、私塾で学ぶために暑い日も寒い日も雨の日も自分の足で歩いた中岡慎太郎
向学の道、として残ります。
しかし、今でも言葉悪いですが山々に囲まれた猫の額ほどの土地を耕し、昔は大変貧しかった土地でした。
そこで畑耕し日々の暮らしに一生懸命だった農民と直接膝と膝をあわせ生きていた中岡慎太郎
その農民たちの代表役、まとめ役である大庄屋に生まれ育った中岡慎太郎
地に足着いた民を思う心、この貧しく日々の生活にも困窮している民の為に・・
では如何にすべきか?
を思想や概念からでなくボトムアップからで戦った志士というより、革命家のイメージが強いんですよね、私は
だから人と人とを繋げ化学反応を起こす事が出来たんだと思うんです。
不純物極まりなく残存する物資と物資が合わさっても峻烈な化学反応は起きませんよ
慎太郎の生家、再現されています。
恵まれた環境に生まれ育った者だけが羽ばたく羽ばたけるのではありません。
自分の生まれた境遇に溜息つき、捻くれ、嫉妬心持ち生きていく者はいつの時代も一生その境遇に終わるでしょう。
決して恵まれた土地柄、家柄でなかった中岡慎太郎が何故、薩摩や長州、土佐、公家達を動かす事が出来たのか?
厳しい表情の中岡慎太郎
横の墨で消された所には芸者がいて、笑顔ステキな中岡慎太郎の今に残る写真
人の心を掴み惹きつける方だったんでしょうね
そして中岡慎太郎生家ある高知県東部を後にして国道55号を通り徳島県に向かいます🚙
来週は徳島県南部の宍喰町
宍喰町と言えば、日本のゴルフ界の彼の方、彼の方方が生まれ育った土地🌊
来週もお楽しみに!
今年も日本各地のマニアックなマニアックに歴史をお届けさせて頂きます🙇♂️