プライベート

土佐・阿波路〜其の参〜

無人島 長平(ちょうへい)
南国土佐を後にして〜🎶
高知市内より国道55号で徳島へ
其の道の途中にあるのが?

無人島 長平(ちょうへい)の墓と像

誰それ?
確かに江戸時代、土佐国(現在の高知県)一介の船乗り、船頭でした。しかし凄まじい人生を送る事になるので、しばしお付き合いを✋️
土佐沖には悠々と黒潮が流れています。それは何千年、何万年、何十万年以上の太古より
しかし、冬や春先には強烈に荒れる海として知られ、沢山の船と命が海の藻屑と消えていった歴史もあります。
江戸時代後期、土佐国、現在の高知県香南市に長平(ちょうへい)という船頭がいました。

天明5年(1785年)に高知県田野町に米を運んだ帰りに強烈な西風、嵐に逢い帆や柱失い舵取りできなくなり黒潮に乗っていくたまけの木葉のように遭難難破してしまいました。

数日彷徨い着いたのは現在の八丈島と小笠原諸島間にある無人島
3名の船乗り仲間と
2人の仲間は2年以内に亡くなり、長平は島にいるアホウドリの肉を乾燥させて保存食として、海藻や貝を食し、卵も食べ、その殻に雨水を溜めて大事に飲むように生きていきます。
3年後の1788年には大阪の商人が11人、また1790年には宮崎県の商人が6人無人島に漂着します。

ここで待っていても、誰も助けてくれない!
長平達は、難破した船、流木などで基礎作り、船大工経験者いたので、ふいご作り釘や碇を溶かして更に補強し、帆はアホウドリ毛から作ったりして、全長9㍍の船が完成しました。


osakasyoun

無人島出て、1797年6月に八丈島に着き、そこから江戸へ、取り調べ終え故郷の土佐に向かいます。
土佐に13年ぶりに帰ったときに、ちょうど13回忌が営まれており、生きて戻った長平に家族親戚友人ビックリします(笑)

其の後は土佐藩より野村の苗字と褒美を貰った長平、無事に60歳まで人生を此の地で過ごしました.

 

歴史の波に揉まれ、埋もれた小さな庶民の歴史かも知れません。
しかし飛行機でなく地道を進むと色々な事象に出会うことも又、事実也。
来週も土佐・阿波路続きます。


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時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。