プライベート

常陸国笠間探訪〜其の壱〜

皆さま、こんにちは、タケシです😄
日本という素晴らしい歴史と伝統文化、自然あり、柔らかな人々の日常がある
其の様な日本の安っぽい観光化されていない、「素」の姿がある場所を皆さまに知って頂きたい・・・
タケシの切なる願いでやんす
今週と来週にお届けさせて頂くのは、常陸国(ひたちのくち)笠間(かさま)探訪と題しまして、茨城県笠間市近郊の素朴な魅力を少しでもお伝えさせて頂ければと思います。
茨城県で何処に住みたいか?
と聞かれたら・・・
水戸?筑波学研都市?日立?取手?
私は断然に笠間市ですね
私が大好きな笠間を少しでも知って頂ければと

JR上野駅よりJR常磐線
特急ときわ、に乗車🚝
笠間市の友部駅で下車65分
友部駅内にある渡り廊下には地元の観光名所や?
男子ツアー日本ゴルフツアー選手権開催コースの宍戸ヒルズの大きな看板、そして地元出身の日本代表するツアープロゴルファーの写真も

3人に挨拶して、駅近のレンタカー屋に
そして笠間市にある笠間焼を製作販売する工房などが立ち並ぶ笠間芸術の森近くにある、我が定宿にチェックイン
友部駅より約20分

早速向かうは、かの美食家、書家、陶芸家、経営者、多彩な顔持ち孤高の天才芸術家とでも評しましょうか、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)の鎌倉にあった旧宅を移築し管理、公開している春風萬里荘へ

北大路魯山人
ご存じらっしゃらない方に説明するならば、漫画「美味しんぼ」の海原雄山のモデルとなった明治、大正、昭和を生き抜いた芸術家
京都上賀茂神社の由緒ある社家 北大路家に明治16年(1883年)生まれるも、実は母の不貞の子だったので父の北大路清操は醜聞を恥じて割腹自殺を遂げ、母のトメは逐電
それ以来、血が繋がらない養家を転々とし自分が何者かを分からない中、幼少期青年期を辛い境遇中過ごします。

しかし、権力や権威に忖度することなく、「美」というもののみを追求し続けた魯山人にとり、この過酷な境遇こそが彼を鋼の様に強く、研ぎ澄まされた名刀のように純粋にしていったのかもしれません。

陶芸、書、庭造り、茶室、民藝、絵、そして会員制の料亭、星丘茶寮(ほしがおかさりょう)では昭和初期に明石から東京まで飛行機で鯛を運ばせたり、京都の鮎を夜行汽車でタライに水をチャプチャプ掛けながら東京まで行きたま運んだり、旬とホンモノに拘り続け、しかし、後年、皇族を自邸に招いた時の食事には敷地内に自生する芹を摘んで出したり、華美な高級食材だけに拘った訳ではありませんでした。

むしろ、家庭で母の温かみを知らない魯山人は永遠に母の温かさと父の強さを自分中で偶像化し、そこを核に自分なりの「美」と言うものとを土を捏ねるかの如く併せて昇華していったのではないでしょうか?

話長くなりましたが、私、絶対的なる魯山人の大ファンでして、皆さまに孤高の芸術家を少しでも知って頂ければと、、
はい✋️
其の様な魯山人の旧宅が移築された春風萬里荘

200年ぐらい前の豪農宅を魯山人が鎌倉に移築し住んだ藁葺の家
随所随所に魯山人の拘りがあります。
風呂場は?

タイルには青竹を模した織部焼き陶板が貼られます


osakasyoun

洋間には
欅(ケヤキ)を断面見えるように切断したものを床に敷き詰め

 

魯山人の写真も飾られ、中には珍しく笑っている写真も

「人間と言うものが出来ていなくて、しかも作品だけが立派に出来得ると言うことは、ものの道理が許さないことである。」
北大路魯山人
魯山人の息吹を感じさせて頂いた旧邸 春風萬里荘
笠間と言う古き良き街に溶け込んでいます✨
来週は、笠間で必ず行く、蕎麦屋を
食にも拘り生き抜いた魯山人を思いながら・・・


ニチコン


丸安産業


ジャパンクリエイト


ecc

ABOUT ME
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。