ツアー

世界ランク50位 PGAプレーヤー・マッケンジー ヒューズとの4日間

 
今回は前週アメリカツアーも開催されていたので、日本に来たPGAプレーヤー、キャディ、関係者は「バブル方式」という措置をとられ、同じホテル、同じフロア、一般人と入り口、食事などの動線は別

そして毎朝のPCR検査
(年寄りなので、朝から飲食せずの唾液検査は必死)

ホテルにチェックインすると、ホテルとコースの往復のみなので、最後チェックインする前の食事はこれ!

 

日本人のソウルフード、牛丼と豚汁

それにラーメンも食べたかったのでメンマのせ

かろうじてストレス発散

しかし、練習ラウンドに入ると、キャディで来ているはずが同時に英会話教室を受けているかのような7時間

 

 

試合が始まればヤードさえ英語で言っておけばいいや!
という安易な考えとは裏腹に、いざ本場になると数字の英語さえ出てこなくなる

 

 

おまけに試合になったらマッケンジーさんは、私にラインを聞いてくるではないかー!?

しかも微妙なストレートラインのワンピン

毎回聞いてくれればなんとかなるが、ここ一番大事なところで聞いてくる

私の英語力では微妙さを伝えられない

最後には
「アイ ライク ヒア!」
みたいな…

最初2回聞かれて、入らず、今日はもう聞かれないだろうと思って離れていると呼び戻され、
「NABE.どう思う!」

「えっ!」

言ったはいいものの、打った瞬間からカップに入るまで見てられなかった

視力がかすんだけど、入った

これから毎日3回くらい聞かれた

私はその度に苦しい思いをした

ラインが合っていたのかどうか!?

私の言った英語が合っていたのかどうか!?

二重苦

 

最終日はスタートからピンチが続く

アプローチも微妙な距離に寄るので、いきなり3連続ラインを聞かれた

今までとは違う

最終日の緊張感が増す

すると11番
ティーショットを右のラフに外す

エッジまで183ヤード
ピンまで197ヤード

彼は7番アイアンを抜いて待っていた

すると打つ前に
「7番でいいか?」
と聞いてくる

(なんで3日間しかコンビを組んでないのにこんな私に聞くの?)という疑問がわいた

 

だけどここはアメリカンになって自分の意見をいうしかない

「8番アイアン!?」

彼は
「8番アイアンじゃ、エッジ行かないと思うんだけどー」

といい、少し時間をかけたあと、8番アイアンに変えた

(まじかー!左手前のバンカーに入ったら寄らないかもー)

スパッ!と打った

ピンに真っ直ぐ!

ボールが飛んでいる約5秒間、生きた心地がしない

(心の中で届いて~、お願い!!!)

グリーンをとらえた

やっと呼吸ができる!

キャディとしてここ一番で当てた

生きれた感じもしたが、初日にラインを聞かれて入らなかった時から、私は何回も死んでいる

もはやゾンビがキャディをしてアドバイスしている状態

もうどうにでもなれ!

早く終わって~!

14番パー5でバーディを取れず、15番で122ヤードからボギー。
一気に重い雰囲気になる

さすがのマッケンジーさんも自分のミスに叫びまくっていた

(ディス イズ PGA !)

17番は完璧なティーショット

風の向きが変わりはじめていた

セカンド地点
ピンまで187ヤード

「NABE !   7番アイアン スムーズでいいか?」

(なんでこんな重要な場面でまた俺に聞くの? 3日間一回も番手は聞かなかったのに~!しかもフェアウェイ真ん中よ!番手ミスしたら、完璧俺のせい??)

私は英語っぽくない日本英語で雰囲気を出しながら、

「7番スムーズか8番アイアンかな!?」

と答えた

彼は

8番!?

という顔をした

凄い沈黙の時間が流れる

私はつけ足して、

風が、「ヘルピング」(追い風)と言った

このときの私は

誰か私を「へるぷ み~」

という感じであった

すると彼は、8番アイアンに持ち変えた

(まじかー!)

また私は死んだ

打った!

また完璧な方向に出た

(寄ってくれー!頼む!)

ピン横3メートルにピタリ

ゾンビキャディだけどまた生き返った

ラインを聞いてくるな!と思いながら、聞かれず
バーディ!

最終ホール

ティーショットでいきなりドライバーを抜きながら、
「ドライバーか3番ウッドか?」

と聞かれ、また!?
と思いながら、うなずいた

バーディフィニッシュ

ちなみに最後のカラーからのパットもライン聞かれた

やっと死にながらしたキャディも終わった

私のPGA最高位4位

ゾンビだけど、最高の笑顔に変わった

 

 

いつになったら人間に戻れるのだろう?

少し時間をください

「妖怪人間ナベ」

 


ecc
ABOUT ME
渡辺 宏之
1971年6月21日生まれ。神奈川県出身。 東洋大学を卒業後、スキーのインストラクターをしながら小中学の同級生、久保谷健一がプロになったことでツアーキャディーに。 2002年に久保谷プロの2週連続優勝の後、2003年USツアーに本格参戦。 2004年から倉本プロのキャディーを務め、2006年から07年はアメリカシニアツアーに参戦。 女子ツアーでは服部道子プロ、古閑美保プロ、諸見里しのぶプロのキャディーを務め、優勝に貢献。 2010年、14年ではシニア賞金王、倉本プロの専属キャディーを務める。 2012年、15年には、I・J・ジャンプロのキャディーを務め、中日クラウンズで2度の優勝。 日本で開催されたUSPGAツアー「ZOZOチャンピオンシップ」では、2021年、マッケンジーヒューズで4位。いままで自身アメリカツアー最高位13位を上回る。 2022年もピーターマルナリティのキャディとして2年連続の参戦。 その年、倉本昌弘プロ(67才)のエージシュート「63」のマネジメント力を間近で感じる。