ツアーで全国各地に行きますよね、城マニア方ならご理解頂けると思うんですが早朝と夕方の城って本当に厳か凛々しく美しいんですよね✨
明治時代を迎え、多くの城の建築物が破却され、石垣は崩して転用され、掘は埋められ道となり、往時の姿を完璧に残すものはありませんが、其の微かに残る所から古(いにしえ)の豪華絢爛なる姿を想像し過去を感じるのが、マニアがマニアたる所以(ゆえん)
春の豊後路、大分県の県庁所在地である大分市に2泊した時も日が昇る前に街を散策して参りました。
目的は府内城。先の大戦で米軍よりの大空襲受け沢山の方々の命、歴史的建築物が灰燼と帰しました。
しかし城下町独特の町割り縄張りを現在の幹線道路と見比べ隈なく散策する、マニアの真骨頂、NHKのブラタモリのタモリさんと似たようなものですね(笑)
鎌倉時代より豊後国守護、のちに戦国武将として其の名を轟かせた大友宗麟(そうりん)大友家が治めてきた土地で江戸時代には松平家が治める土地で明治時代を迎えます。
府内城跡、、、だいたい日本の主だった都市にある城跡には明治時代を迎え、裁判所、県庁、市役所、地方銀行本店、其の地方にある地方紙本社などが置かれて今に至るパターン多いですね、それに各地方の電力会社本店、支店もある。
いわゆる近現代日本のお役所御上に頭上がらないヒエラルキー縮図
府内城跡
朝日を浴びて神々しく輝く白壁と石垣
そして、奥に見えるは大分県代表する県紙の大分合同新聞本社ビル
この過去と現在が同一画に見える妙
早朝は城跡を散策🚶♂️
昼間は仕事夕方帰路に着く時には、たまたま出会った史跡に車止めて?
別府市杉の井ホテル上手を通過した時に発見
関ヶ原の戦いが中央では東軍と西軍の決戦になりましたが、それは各地方でも、、
九州東部では大友宗麟の息子で朝鮮出兵時に敵から逃亡したことを秀吉に咎められ豊後国所領を召し上げられた大友義統(よしむね)が東軍、家康方で大分県北部(豊前)中津城に本拠地を構えていた黒田官兵衛と、ここ別府市杉の井ホテル一帯で戦います。
司馬遼太郎さんも書いていますが、稀代の軍師である黒田官兵衛は一日で中央の東軍と西軍の戦いが終わると想定しておらず、対立は長引き、そうする間に九州統一し四国、中国地方まとめて東上し第三勢力として戦に加わる。
其の過程での戦が此処であった訳です、421年前に・・・
大友家一族で武勇の誉高かった大友統幸は此処で果敢に戦い美しく散ります。
桜はまだ咲いていませんでしたが、桜の花散る時のように
陣取った場所に腰を下ろし、同じ景色を見たであろう大分市、別府市を眼下に見、眼を瞑ると果敢に戦い美しく生きた真の武士(もののふ)達の無念の涙でなく清々しい悔いない生き様を感じる事が出来ました。
来週土曜日は大分県を南下し臼杵市、佐伯市へ
皆様お住まい街にも素晴らしい歴史が、、、
そして日本は其のような歴史ある国であり、其のような方々の血を受け継ぐのが現代の私達であることを忘れずに誇り持ち毎日行きたいと思った今日の午後、コーヒー沸かしてベランダでくつろぐとしますか☕️