11月中旬、ちょうど山々が紅葉で彩られ美しい時期に以前から行きたい場所がありました。
四国は瀬戸内海側の愛媛県松山市から西に一時間ほどの大洲市(おおずし)
そして東に90分ほどの、しまなみ街道
そして徳島市
車での一人旅でした🚙
さて、先ずは大洲市
四国の左端上に位置する大洲市
四国の小京都とも呼ばれる大洲市ですが、先の大戦では八幡浜や松山、高松、徳島など軒並み米軍の大空襲受け街並み焼けましたが、内陸に位置し軍需工場無かった大洲は戦災から免れ昔ながらの街並みと雰囲気を残して、其れが四国の小京都とも呼ばれている所以(ゆえん)です。
大洲市に来て、先ずは行きたかったのが大洲城🏯
明治中期に破却されましたが、木造で完璧に再建された城が肘川(ひじがわ)を外堀、天然の堀として聳え立ちます。
この橋上から見る大洲城の美しさは、是非とも実物でご覧頂きたいと・・・
そして、味気ない寂れたビジネスホテルなんかしかない、と思いきや、大洲市に宿泊して変に観光化されていない本当の在りし日の日本の街並み、人の暮らし、景色を心ゆく迄、堪能出来る
古民家をリノベーションして造られたホテル・レストランが大洲城天守閣臨める位置にあります✨
日本各地に残る古民家、武家屋敷を現代風にリノベーションし、食事も地産地消をベースに進めていく
古き良き後世に伝えていかなければならない文化継承と街への経済的貢献
この事からも素晴らしいビジネス展開だと感じました✨
大都市、バスでのありきたりの観光でなく、其の街の歴史と普段の空気を吸い時間を楽しみたい方々には是非、上記アドレスからご検索頂ければと思います。
街をブラブラ散策していると、大洲藩始祖 加藤光泰と江戸時代大洲藩六万石を治めた大名加藤家の菩提寺
臨済宗妙心寺派 龍護山 曹渓院
がありました。
此処に眠られる大洲藩始祖 加藤光泰は元々、豊臣秀吉麾下の戦国武将で、甲府24万石の太守にもなりましたが、朝鮮出兵時、文禄の役時に釜山で亡くなりました。
以後、関ヶ原の戦いで加藤家は東軍、家康方に味方し本領安堵され、光泰の次男 貞泰が1617年(元和三年)に此の地、伊予大洲六万石に転封となり、以後明治維新迎えるまで代々続きます。
当日、曹渓院住職、奥様に普段は閉ざされている加藤家墓所を拝見させて頂きました。
ありがとうございました🙇♂️
明治時代までは簡単に入ること出来なかった聖域
100年、200年、300年前と変わらぬ風景と、止まった時間が其処(そこ)に在りました。
何も足さない
何も引かない
事実たる時の流れそのものが・・・
来週土曜日も引き続き、四国の小京都 大洲の素顔をお届けさせて頂きます。
コロナ禍での日々の生活、鬱屈したものを感じますが、是非少しでも旅をした様な雰囲気を感じ、またコロナ治れば実際に旅して頂きたいと思います。
そんなおススメの場所を来週土曜日も