歴史上の英雄、大企業を造り上げた方々には絶対的な、ココが勝負!アノ時が勝負だった!
瞬間が間違いなくありました。例えば徳川二代、三代・・・将軍は自ら行動起こし変革よりもマイナーチェンジしながら体制の継承と発展を第一に考えているので、創業者の家康ほどの山あり谷あり人生は無いですし、逆に必要無い。
面白いのは、創業者的な感覚持つ武将の生き様と行動、そして其の裏には自分の家を守り名をあげようとする必死の生き残り戦略が見え隠れするからなんです。
今の会社経営者、サラリーマンの悲哀、会社にも通ずるモノを感じずにはいられません。
さて、本日のテーマは
「あの諺も生まれた天下分け目の決戦」
ですが、そう
山崎の戦いがテーマです。
本能寺の変
絶対的君主であった、織田信長は家臣である明智光秀に京都での宿舎だった本能寺を襲われ亡くなります。
其の前後、光秀の朝廷工作や近隣の武将への根回しなどを調べれば調べるほど、信長に代わって天下人になろうとは思っていなかったのでは?
を、感じます。
その脆弱性こそが命取りになるわけですが・・・
信長と長男信忠の命をとり、光秀は信長居城だった安土城と安土の街を攻め焼き灰燼に帰させました。
主君信長、光秀に討たれる。この情報をイチ早く掴み行動に移したのが秀吉でした。
6月2日に本能寺の変
中国地方で毛利軍と戦っていた秀吉は内々に和議進め前線から撤退はじめ、6日には岡山市辺り
7日には姫路→11日には尼崎と俗に言われる、中国大返しで光秀討つために、大軍を集結させます。
秀吉のスゴイ所は物資物流の効率化と可視化、情報網の構築と活用をどの仲間でありライバルの信長麾下の武将よりも考えて実施していた所だと
中国地方で毛利軍と戦っていると思っている光秀は迅速な行動、イコール時の勢いに何かを感じたはずです
少しでも味方の軍勢が欲しい!
中川清秀や高山右近など京都、摂津にチカラ持つ武将を光秀も秀吉も味方に!と思いました。
秀吉はイチ早く、中川清秀に
「殿(信長)は光秀から逃げのびる事が出来存命である。」
と嘘の書状を送っています。信長が生きていたら、逆賊光秀は必ず討伐されますから、、数千の軍勢と地の利を持つ摂津の武将は秀吉に味方します。
とうとう羽柴秀吉軍と明智光秀軍が京都と兵庫、大阪の県境である、山崎
サントリー山崎工場近くで向き合います。
総勢秀吉軍35000人、光秀軍勢が15000人とも言われています。
北方に陣取る光秀に対し秀吉は
高台、山、天王山(てんのうざん)に陣取ります。
上から光秀軍勢を見下ろす形です。
宝積寺に秀吉自身は居て、指揮を執りました。
今も宝積寺境内には?
秀吉が此の石に座り指揮を執ったことから「出世石」として大事に残されています。
よくスポーツ、野球やサッカーで優勝争う2チームが、この試合に勝てば優勝!などと言う時に使われる
「天王山の戦い」
は、ここに由来するものでした。
宝積寺・・・
今に残るは?
山崎の戦いの前後に建立され400年以上たつ安土桃山時代の華麗な様式の三重塔があります。
当時の空気感を今に伝える生き証人でもあります。
多勢に無勢
光秀は親しい武将に味方に!の催促状を送りますが、戦をする名目と正義、勢いあるのは秀吉方と見て中々光秀の誘いを受けません。
光秀親族の細川藤孝・忠興親子は討たれた信長の菩提を弔う、、と言い剃髪、頭の毛を剃り喪に服し貝殻閉じました。
光秀が一番頼りにしていた細川家でしたが、細川家の長年政治の中枢に居ても滅ぼされることなく家名繋いできた「しぶとさ」を感じますね
味方しない、どちらの味方する!となったら、どちらかに反目してしまう訳ですよ✋
秀吉軍が有利なのは確かだが、戦に絶対なくもし光秀が盛り返した場合を考えて、何手も先を考え布石打つ細川家の意地としぶとさ、さすがですね
江戸時代は肥後熊本54万石の大大名。明治大正昭和も常に日本のエスタブリッシュメント中枢にいて細川護煕元首相に引き継がれている歴史、ある意味優柔不断さの根源はここに在りでしょうね?
深い✨
そう、その細川家とまた違う意味で迷っていたのが、大和國、奈良県を信長より任されていた武将の筒井順慶
大和郡山城の居城から現在の京都府八幡市から大阪府枚方市一帯の洞ケ峠(ほらがとうげ)出陣するも、どちらに味方しようかなぁ〜
どちらが勝つかなぁ〜
と迷いに迷いに結局どちらにも味方することなく、居城に引き返した筒井順慶
この煮え切らない、勝ち馬に乗ろうとする行動から出た成句が
「洞ヶ峠(ほらがとうげ)を決め込む」
山崎の戦い
秀吉軍の全てに於いての圧倒的な熱量に光秀は敗れ、信長を本能寺で討ってからの呆気ないアッという間の転落と最後でした。
ここから生まれた成句が
「三日天下」
天王山の戦い
洞ヶ峠を決め込む
三日天下
諺と言いましょうか、3ツの成句が生まれた山崎の戦いを本日は
来週は、山崎の戦いで勝利した秀吉は天下人への道へ歩んでいく訳ですが
では、また来週👋