794年に桓武天皇により、長岡京より平安京に遷都されました。
京の都、京都の始まりです。
1868年に明治天皇が東京に、実質的には1869年明治2年から東京にお住まいになられるまで、京都は日本の中心でした。
今でも古くから京都に住まはる方は言いはります
「天皇さんは東京に散歩に行ってるだけや」
天皇陛下、天子様でなく親しみ込めて天皇さんと呼ぶのは、1000年以上の歴史を持つ京都人のプライドの現れです。
たかが150年ばかりの都やないかい!
京都人、京都の奥深さが感じられる言葉と表現ですよね
こんな話もあります🤚
京都の老舗店の当主と話していたら
「先の戦(いくさ)でウチの家も大変な目に遭いましたわ」と
先の大戦で京都は空襲受けていませんが太平洋戦争か?それとも幕末の京都の街を大火で襲った禁門の変のことかな?と思い、よく聞いたら
応仁の乱1467年の戦の話だったと言う、嘘か誠か分かりませんが、悠久の歴史を今に生きる京都人ならでは、の話でした。
桓武天皇により造営された京都の街
方位学的に鬼門(北東)方向には延暦寺が造られ京都を護ります。
そして裏鬼門(南西)に位置する所に造られたのが、今回訪ねた
石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)です。
平安時代はじめに宇佐神宮よりこの地に勧請されました。
それ以来、皇室からの崇敬も深く天皇、上皇、法皇の行幸は250回以上を数えます。
八幡様
鎌倉幕府、室町幕府、豊臣秀吉、徳川幕府、その他の武家からも特に武家の守神的意味合い強い八幡様ですので、2020年の今も貴重な文化遺産が、ここ石清水八幡宮に残り見ることが出来ます。
かの織田信長は、本殿に金で出来た黄金の樋(とい)を寄進しました。
火災で焼失しても、この黄金あれば再建出来る。と言ったと言われますし、また信長は
1580年、本能寺の変で亡くなる2年前に本殿を、ぐる〜っと囲む塀を寄進して、440年前の姿を見ることが出来ます。
その信長塀を荘厳なる楠の大木が、、、
楠木正成手植えの楠があります。
本殿は3代将軍徳川家光により
武家・政治という、ある意味、よく深く業の深い権力中枢から全く対極の位置にあったのが石清水八幡宮
しかし時の権力者たちが心の拠所として保護してきた事実もあります。
チカラを前面に押し出す事により権力維持と勢力伸ばすのが武家政治の本質です。
だからこそ、安寧なる安らぎと変わらぬ何かを求め大事にしてきたと言う一見矛盾する様ですが、人間社会の縮図と実像を見ることが出来ます。
石清水八幡宮
日本人なら一度参られ、手を合わせば何かを感じることが出来ると思います。
そして最後に、、、
貴重な建築物の数々と、魂の安らぐ荘厳なる空間維持には多額の費用かかるのが事実です。
昔は時の権力者が寄進してきましたが、今の時代は一人一人が少しでも良いので、大事なものを後世に伝えていく為に寄付と言う形を取らないといけないと
当日私も納めさせて頂きました。
大修造ための寄付
皆様のご協力頂ければと思います。