プライベート

江戸時代の空港は?飛行機は?

ウチの娘、小学生6年生ですが歴史の時間で習っていました、参勤交代

1636年、徳川家光が全国にある300藩近い大名の妻や子供を江戸に置き、大名は2年ごとに江戸に参勤し1年経てから自領に帰る、この制度

いつ徳川幕府の敵にもなるやもしれない各大名の人質を取る意味合いと、自領と江戸の往復での膨大な出費により有力大名のチカラを削ぐ意味合いから制度づけられたと言われています。

九州地方の大名や四国の大名は大変だったんでしよ

薩摩藩、現在の鹿児島県の島津家は江戸まで40〜60日、約1800人の行列引き連れ1,700㌔を

四国、愛媛の宇和島藩伊達家も船で本州に渡り、そこから陸路、約30日かけ1020㌔の道を江戸に向かい進みました。

この時の移動手段として、ヤハリ1番早く安く行けるのが、船だったんですね

しかし、当時は帆船なので風向きと海のシケ具合などを考慮しての移動でした。

そして、九州や四国の多くの大名が、この港に船で行き、そこから江戸まで陸路で向かった港があります。

播州 室津の港

です。

1、大きめの船や、荷が積まれ船底沈んだ船も着岸出来る様に急深であること

2、暴風、台風など時でも外湾の影響を受けない入江、港である事

3、大人数が宿泊出来る宿、施設があること

この条件を明石海峡手前で満たしている良港が

室津の港

でした。

何故、明石海峡手前が条件なのか?

淡路島と対岸の舞子付近の潮の流れは急激に変化したりして古来より難所でした。

ので、もしもの事を考え、古くは平清盛が高倉天皇と厳島神社に行った時も、室津の港から出帆し

かの法然上人が

讃岐に流された時も、播磨国室津の港より旅だって行かれました。

それから、鎌倉、室町、戦国時代も室津の港は、人、情報、経済、物資の集まる場所でありました。

当時としては最速であり、多く荷が詰める移動手段と云えば船、今で言う空港などに似ていると思います。

船頭はパイロット

船は飛行機

室津の港にあった、例えば薩摩藩と結びつき強い

趣ある街並みとともに残ります。

この地、現在は兵庫県たつの市ですが、江戸時代には姫路藩直轄の港でした、それが

港入り口には空港の税関、入国審査所の様な番屋が設けられ姫路藩の侍が24時間常駐しました。

多大な経済的利益産み出す室津の港は姫路藩にとってのドル箱でした。

今は?

室津民俗館として、栄えた頃の展示物や資料を見る事が出来る場所になっています。

姫路藩御用達 海産物問屋 豊野家が残ります。

家の中は

参勤交代の脇本陣としても利用されたのですが、細部にわたり細かな細工と造り、さすが名字帯刀、大店だけはあります。

そして、この室津の港には、これまた教科書でも習ったシーボルトも寄港しています。

室津にある古くより縁起ある

鴨神社

京都の上賀茂、下鴨神社と同じですね

今も

京都の寺院のように、観光化されておらず、数百年前と変わらぬ美しさと荘厳さを今に伝えます。

そう、シーボルトが寄港した江戸時代、この鴨神社に参拝し、当時の様子をスケッチしているんです

スケッチされた方向から、今を見ると?

本殿は修復中でしたが、ほとんど変わりありません。

マニアにはたまらないですね、、、

ここ室津の港に1,000年以上鎮座する鴨神社には、群生する蘇鉄(そてつ)があります。

群生する蘇鉄北限の場所で

兵庫県たつの市の室津の港

本当に古き良き街並みと貴重な建築物が奇跡的に守られている、、とは違う共存している街です。

旅好き、歴史好き方には是非とも、この兵庫県たつの市室津の港を訪れて感じて頂きたいと思います。

 


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時空少年タケシ
時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。