プライベート

西郷隆盛の名前は隆盛ではありません!

鹿児島を訪れるとお土産コーナーで目につくのが

1、西郷隆盛

2、桜島

そう、上野公園にも西郷さん銅像ありますし、新政府軍と戦った東北諸藩にも西郷さんだけは別として、また征韓論で下野した時を考えても西郷さんを慕い一緒に新政府を去った沢山の人

そして手塩にかけて育て可愛がった自分を慕う者達が新政府に反旗を翻し武装蜂起した、俗に言う西南戦争

明治天皇も西郷さんの死を悲しんだといわれています。

そんな西郷隆盛の人物、器、精神は甚だ巨大で私などの凡人が語るのも失礼ですが、西郷隆盛の人物像を端的に表した言葉が一番分かりやすいかなと思います。

坂本龍馬が西郷隆盛に初めて会って、勝海舟に、どの様な人物だった?と聞かれ

「大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く。」

と評しています。

この言葉に集約されるのも大西郷らしいですよね

最後は故郷、薩摩の城山で自刃し亡くなられたのですが、西郷さんは薩摩城下に12、鹿児島全土には100を超える私学校設けて教育にあたりました。

鹿児島、島津家薩摩藩77万石の本拠地 鶴丸城跡

いまは石垣のみ残る鶴丸城ですが、その道路一本隔てた場所にあるのが?

西南戦争時の銃弾跡が石垣に残る、私学校跡があります。

しかし、西郷隆盛の名前は隆盛ではなかった

ご存知でしょうか?

ちなみに、弟の西郷従道も従道ではなかったことを、、、

西郷さんが不在の時に昔からの同志であった薩摩藩 吉井幸輔は、新政府からの西郷さん正式な名前の登録時に、西郷家では名前に代々「隆」の漢字を入れているのを思い出し

「隆盛」

で登録しました。

当時は武士の殆どが通称名で名乗っていたため、西郷さんは、西郷吉之助で、大久保利通は大久保一蔵

あの坂本龍馬の龍馬も通称名で、本名は坂本直柔(なおなり)なんです。

そう、隆盛で登録しましたが、実は隆盛は、西郷さんお父さんの名前で、西郷さんの本当の名は

「隆永(たかなが)」

が本名なんです!

しかし、小さい事に囚われない西郷さんは、訂正も怒りもせずに西郷隆盛になりました。

そう、弟の西郷従道(つぐみち)の本名は

西郷隆道(たかみち)

なんですが、名前聞かれた時に音読みで、「りゅうどう」

と答えましたが、薩摩訛りで聞き取り役の役人が名前を

「じゅうどう」

に聞き間違い、漢字をあて

「従道」

になったという嘘の様な本当の話があるんです。

欧米列強から侵略許さず独立国家として繁栄築いた明治時代

その裏には小事に拘らず大きな本当のサムライがいたからこそのものであったと改めて思います。

ラスト・サムライが生きた時代です。

 


ecc

 

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時空少年タケシ
こんにちは、時空少年タケシです✌️ ゴルフトーナメント関係の仕事をしています。 幼少時より、根っからの歴史好きで、各地各地に行くたびに、神社仏閣、城は勿論、合戦場、遺跡などにも足を運びます。 マニアックでなければ、意味がない! これをモットーに100パーセント自己満足の記事をお届けさせて頂きたいと思います。